韓国で被爆者手帳交付

-共同通信 2019年1月27日 「長崎市、韓国で被爆者手帳を交付」 http://archive.fo/GKlR4

去る8日の長崎地裁の判決に基づき、韓国人被爆者に対して長崎市が韓国で被爆者健康手帳を交付した、というニュースです。最初から交付すべきだったとは思うものの、控訴しなかったのは高齢の当事者のためにはよかったと言えます。

今回の訴訟の前提の一つをなしているのが、2008年に成立した改正被爆者援護法です。孫振斗裁判での日本政府の敗訴(1974年)をうけて韓国人被爆者への援護がようやく始まりますが、厚生省(当時)は被爆者手帳が国内でのみ有効であるとする通達を出し、韓国在住の韓国人被爆者への援護をネグってきました。2008年の法改正でようやく海外から被爆者手帳の交付を申請できるようになったわけです。

ところで韓国人被爆者の裁判闘争は、戦後補償裁判のなかでも原告勝利の判決がたびたび下されて確定しているという点で異彩を放っています。私は各訴訟について詳しく判決文を検討したわけではありませんが、原爆による被害の場合特別な立法による救済が行われてきたことがどうもその背景にあるようです。

例えば2008年の法改正に先立ち、海外在住の被爆者にも被爆者援護法上の「被爆者」の地位を認めた判決郭貴勲裁判)が2001年に下っていますが、その確定判決(大阪高裁)は次のように判断しています(郭貴勲裁判 高裁判決全文)。

(……)被爆者援護法の複合的な性格、とりわけ、同法が被爆者が被った特殊の被害にかんがみ、一定の要件を満たせば、「被爆者」の国籍も資力も問うことなく一律に援護を講じるという人道的目的の立法であることにも照らすならば、その社会保障的性質のゆえをもって、わが国に居住も現在もしていない者への適用を当然に排除するという解釈を導くことは困難である。

被爆者援護法があるがゆえに国家無答責、除斥期間、日韓請求権協定等々、戦後補償裁判で原告の請求を阻んできた論点での争いにならず、裁判所としても原告勝利の判決を書きやすかったのではないか、と。

 

 

連載「東学農民戦争をたどって」

去る1月15日から週末を挟んで21日まで、『朝日新聞』夕刊紙上で全5回の連載「東学農民戦争をたどって」が掲載されました。担当は『『諸君!』『正論』の研究』の上丸洋一記者です。

(東学農民戦争をたどって:1)民衆抵抗の地、初対面で涙:朝日新聞デジタル

(東学農民戦争をたどって:2)悔恨胸に、学んだ不殺生の精神:朝日新聞デジタル

(東学農民戦争をたどって:3)日本兵の日誌「拷問の上、銃殺」:朝日新聞デジタル

(東学農民戦争をたどって:4)自前の近代を追求して:朝日新聞デジタル

(東学農民戦争をたどって:5)日清戦争にさかのぼる:朝日新聞デジタル

以前に当ブログでご紹介した『東学農民戦争と日本 もう一つの日清戦争』(高文研)の共著者、中塚明・井上勝生・朴孟洙の三氏がすべて登場する連載で、農民戦争それ自体についての記述を含め内容的には同書と重なるところが多いですが、日本では「日清戦争のきっかけ」程度の扱いを受けることが多い、知られざる戦争を全国紙がとりあげた意義は大きいでしょう。また第5回で紹介されている公式戦史の“改竄”は、現政権の醜態とあわせこの社会の支配層が公文書に対してどのような意識を持っているのかを改めて考えさせます。

なお、マスメディアで言及されているのをまだ見たことはありませんが、今年は三・一独立運動からちょうど一〇〇年の年にあたります。

 

グラン・カナリア島の原爆碑

Eテレの語学番組「旅するスペイン語」、今シーズンはスペイン領カナリア諸島が紹介されています。12月26日に放送された第13回では、こんな話題がとりあげられていました(年明け1月8日に再放送)。


グラン・カナリア島のテルデ市にはヒロシマナガサキ広場があり、日本国憲法9条のスペイン語訳が掲げられています。これを知ったアメリカ人が「スペイン人は反米!」と噴き上がったら世界はどう思うか……というのが、アメリカ各地の「慰安婦」碑にクレームを付けている日本政府や大阪市の振る舞いの愚劣さを理解する手がかりになるでしょう。

「したとされる」はいつごろから?

7月7日、9月18日がそうであったように12月13日もまた「現地で追悼式典」云々という報道に終始した日本のマスメディア。『朝日新聞』なんかは14日朝刊にこんな記事を載せただけです。

さて、少なからぬ方が13日にSNSで批判的に指摘されていたのが、日本メディアの「したとされる」という用語法です。例えば日経新聞は「1937年に旧日本軍が多数の中国人を殺害したとされる」、フジテレビは「1937年に旧日本軍が多くの市民を殺害したとされる」……といった具合です(なお歴史修正主義トップランナーフジサンケイグループの一員たるフジテレビは、被害者があたかも民間人だけであったかのような工作も行ってますね。さすがです)。
言うまでもなく、「……とされる」というフレーズは事実認定の根拠を不特定の他者に委ねることを含意するもので、書き手が事実認定にコミットしないことを意味します。シベリア抑留についての『読売新聞』の記事で「とされる」というフレーズが使われているものを確認することができましたが、この場合は犠牲者の人数が書かれていました。犠牲者数について諸説あるのはよくあることなので、その諸説の一つであることを示すために「とされる」とするのはまだわかります。しかし「多数の」「多くの」と犠牲者数をぼかした記事においてすら「とされる」としていたことが批判されたわけです。
この「……とされる」という逃げはいつごろから一般化したのでしょうか? 『朝日新聞』のデータベース「聞蔵II」は全文検索できるのが80年代なかば以降の記事に限られるためきちんと調べるのはなかなか容易ではありませんが、いまのところ見つけることのできた、『朝日新聞』での最も古い例は1987年12月8日夕刊、東史郎氏の訪中予定を伝える記事の中で「旧日本軍が多数の中国人を殺害したとされる南京事件」とされているものでした。82年に「侵略→進出」の書き換*1えをめぐって、86年には「新編日本史」をめぐって起きた「教科書問題」の影響を疑いたくなるところですが、さらに過去にさかのぼって事例を見つけることができるかもしれません。今後も暇を見て縮刷版をあたってみたいと思います。

*1:当初の報道に誤りがあったのは事実だが、あたかも検定による書き換えがなかったかのような右翼の主張も誤り。

BS1スペシャル「隠された日本兵のトラウマ〜陸軍病院8002人の“病床日誌”〜」110分版(追記あり)

以前に地上波で放送されたものの拡大版のようです。放送後にこのエントリに感想など追記したいと思います。


追記:放送後僅かの間に3回も観直してしまいました。ご自身で「怒り」ということばを口にされた清水先生はもちろんのこと、番組全体から静かな怒りがじわじわと伝わってきた気がします。
厳密に尺を測ってみたわけではありませんが、地上波版と比べて増補されていたのは兵士の自殺とその研究、敗戦時に病床日誌が隠滅を逃れた顛末とその後、そして戦後の家族への影響、といったあたりでしょう。
とりわけ興味深かったのが“未復員兵”の父を持つ男性と、家庭で暴力をふるう復員兵を父に持つ女性の事例を通して語られる配偶者や子どもへの影響でした。間接的には孫世代にまで影響が及んでいる可能性も示唆されていたと思いますし、女性のケースはその記憶の仕方からしPTSDを疑うこともできるような紹介でした。
戦争神経症に関する戦後日本の沈黙がこの二人のようなケースの苦しみを一層大きくしたわけですが、番組にも登場した中村江里氏は著書『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館)において、戦争神経症が「不可視化」された要因の一つに、軍医が診療・治療だけでなく恩給の策定にも関わっていたこと、を挙げています。「国府陸軍病院の軍医たちは、医学のみならず国家財政の観点から戦争神経症を解釈していたと言ってよいだろう。 」(308ページ) 番組でも多くの精神障害兵士が恩給の対象とならなかったことに触れられていましたが、軍という官僚組織の一員である軍医には、精神障害と軍務の因果関係を否認する動機があった、というわけです。

植村裁判札幌地裁判決について

元朝日新聞記者の植村隆氏が櫻井よしこ氏を訴えていた民事訴訟の判決が、去る11月9日に札幌地裁で言い渡されました。結果はみなさんご承知の通りで植村氏の請求が棄却されましたが、一審の結果がどうであれ実質的な決着の場が札幌高裁になるであろうことは、双方の当事者や支援者にとっても織り込み済みだったと思います。
すでに原告は控訴する旨を公表していますが、ここでは原告植村氏の支援グループが公開している判決要旨に基づいて、地裁判決について当ブログの見解を述べておきたいと思います。


判決要旨のうち、実質的に勝敗を分けることになった部分は「3摘示事実及び意見ないし論評の前提事実の真実性又は真実相当性」です。裁判所の判断については判決要旨をご覧いただくとして、植村氏に関する櫻井氏の記述の真実相当性を判断するうえで非常に重要な事実として、彼女が日本軍「慰安婦」問題について公に発言するようになったのは1996年以降である、というものがあります。1990年から91年にかけて取材し記事を書いた植村氏とは異なり、櫻井氏は92年に刊行された資料集(大月書店)や95年に刊行された吉見義明さんの『従軍慰安婦』(岩波新書)などの調査・研究の成果を参照できたし、また参照すべきだったのです。近年まで続いていた植村氏への攻撃については、過去四半世紀の研究の蓄積をふまえたうえでなされたのでなければ、真実相当性があったと認めることはできないはずです。
しかし判決要旨を見る限り、裁判所は植村氏の記事が掲載された時期に入手可能だった資料のみをとりあげ、それをもってして「……と信じたことについて相当な理由があるといえる」という判断を下してしまっているように思えます。


もう一つ、植村氏の義母が「遺族会」の幹部であったという事情も真実相当性を認める根拠の一つとされています。しかし櫻井氏は、特に公知の事実というわけでもなかった植村氏の縁戚関係には注目する一方、植村氏の91年8月の記事が執筆・掲載された時点では金学順さんを支援していたのが挺対協(当時、現「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」)であって「遺族会」ではなかったこと、12月の記事が掲載されたのはすでに提訴のあとで各社とも植村氏の記事とさして違いのない記事を掲載していたこと、さらに12月の記事が掲載されたのは大阪本社版だけであること……などの、より明白な事実を無視ないし軽視していたわけです。これでなぜ「……と信じたとしても、そのことについては相当な理由がある」などと言えるのか、非常に疑問に思います。

「報道しない自由」を謳歌する『読売新聞』

2014年8月以降、『読売新聞』が非常に浅ましい『朝日新聞』バッシングに加担してきたことはみなさんご承知のとおりです。その汚いやり口については、当ブログでもその一例を紹介しておきました。
さてその後、3つの右派グループが『朝日』を相手に起こした訴訟はすべて『朝日』の勝利で終わりました。とりわけ、日本会議のメンバーも関わった訴訟(当事者は「朝日・グレンデール訴訟」と称しています)では、法律論で門前払いにするのではなく原告の主張に対する事実認定が行われ、「朝日の誤報のせいで!」という右派の主張が否定されています。
また、植村隆・元『朝日新聞』記者が櫻井よしこ西岡力らを訴えた訴訟はまだ判決がでていませんが、その過程で櫻井・西岡両氏の主張にこそ大きな誤りがあったことが明らかになっています。
このように、司法の場で『朝日新聞』バッシング側の主張が次々覆されているわけですが、では『読売新聞』はこれらの訴訟をどう報じているのでしょうか(「ヨミダス歴史館」による)。
まず驚かされるのは、「朝日・グレンデール訴訟」の原告が上告を断念し敗訴判決が確定した(今年2月)ことを報じていない、ということです。これによってすべての訴訟で『朝日』の勝訴が確定したという節目なのですが。
この訴訟の一審判決については小さな記事がでています(2017年4月28日朝刊)。この記事中で判決は次のように要約されています(原文のルビを省略)。

 佐久間健吉裁判長は「朝日新聞の記事が慰安婦問題に関する国際社会の認識や見解に何の影響も与えなかたっとはいえない」と指摘。一方で、「記事の対象は旧日本軍や日本政府で特定の個人ではなく、原告らの社会的評価が低下したとは認められない」と述べ、名誉毀損は成立しないと判断した。

あたかも原告の主張が一部認められたかのような書きぶりですが、しかし判決はこれに続けて次のように判断しています。まず「国際社会自体も多元的であるばかりでなく、前記エの各認定事実を考慮すると、国際社会での慰安婦問題に係る認識や見解は、在米原告らがいう(中略)単一内容のものに収斂されているとまではいえず」、したがって「それら認識や見解が形成された原因につき、いかなる要因がどの程度に影響を及ぼしているかを具体的に特定・判断することは困難であると言わざるを得ない」、と。要するに「朝日の誤報のせいで国際社会が誤解している」という主張は退けられているわけです。『読売』が引用した「何の影響も与えなかたっとはいえない」は言ってみれば自明の事柄に過ぎず、原告敗訴という結果に結びついているのは『読売』が引用しなかった部分の方なのです。これは「捏造」報道ではないのでしょうか?
では植村裁判の方はというと、なんと札幌地裁での対櫻井よしこ裁判の第一回口頭弁論を報じたのを最後に、一切報道していません。『朝日』を訴えた右翼グループの論理によれば、『読売新聞』の読者は、櫻井よしこ西岡力が自らの誤りを認めたことを知る権利を侵害されているわけですね。