yamamoto8hei というツイッターIDを持つ、偽ユダヤ人ワナビーのことは当ブログの読者の方ならご存知かもしれません。かつて「一知半解」というハンドルで当ブログの「百人斬り」関連記事にコメントしていたこともありました。「て、ゆーか一知半解?」とか薄ら笑いが湧きますよね。実際には無知無解なやつですけど。
さてこいつは、右翼が画策した「百人斬り」訴訟が結果的に両少尉の戦争犯罪を裏付ける結果になったことを否認し続けてきたのですが、最近になって一層珍妙なリクツを振り回すようになったので、「歴史修正主義というのがいかにデタラメな主張か」を記録するため、とりあげてみたいと思います。
まずは昨日来の yamamoto8hei の駄ツイートをば引用します。
名誉毀損に「該当する/しないか」を争ったに過ぎない裁判で「捕虜据え物斬り競争をしたか/しなかったか」という"事実の有無"の判定はさ・れ・て・ま・せ・ん。
— 山本八平 (@yamamoto8hei) March 17, 2019
お前さんこそ、その判決しか証拠を出せない癖に。この手のエセ人権屋は平気で冤罪をでっち上げるから恐ろしい。https://t.co/oReTWRjfZ7
「真実性」だろうが「真実相当性」だろうが、判決文では捕虜斬殺を事実だと断定してはおらん。
— 山本八平 (@yamamoto8hei) March 17, 2019
【…『百人斬り競争』として新聞報道される事に違和感を持たない競争をした事実自体を否定する事はできず…】
この最終判決文を読んで捕虜斬殺の証拠になると思う方がトンチキ。https://t.co/6GoqjGVpor
「最終判決文」というフレーズでもう「プッ」と吹き出しそうになりますが(正しくは“原告の上告が棄却されることで確定した東京高裁判決”)、裁判所はまさに「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては、「百人斬り貌争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実」は否定できない、と事実認定したわけです。
「真実性」「真実相当性」とか勿体ぶって言ってるけどさ、浅海記者が向井・野田少尉から聞き取って百人斬り競争記事を書いたこと、そしてインタビュー自体には真実性があるので名誉毀損には該当せずという話でしょ。
— 山本八平 (@yamamoto8hei) March 17, 2019
判決は与太話の捕虜斬殺競争を事実だなんて断定しとらん。https://t.co/Oha24E8Oz5
こいつが原告の主張すら真面目に読んでないことがわかります。
百人斬り名誉毀損裁判では、名誉毀損の有無を判定しただけで、判決文は「百人斬り競争が捕虜据え物斬り競争だ」とは断定しとらん。
— 山本八平 (@yamamoto8hei) March 18, 2019
事実認定もしてない裁判所にどうやってケチをつける?
私がケチをつけてるのは、その判決で「冤罪の余地が無い」と強弁してるお前だよ。https://t.co/hiBaqJK76u
裁判所はまさに「両少尉が(以下略)
さていよいよ、記念碑を建てたくなるほど愚劣な yamamoto8hei の主張をご紹介しましょう!
それはむしろ、事実認定なぞしていない名誉毀損の判決文を都合良く解釈しているお前の事だろ。
— 山本八平 (@yamamoto8hei) March 18, 2019
そんな杜撰な解釈がまかり通るなら、名誉毀損訴訟で安倍首相を訴えて負けた菅直人は「海水注入を止めたのは、れっきとした事実」とされても仕方ないぞ。https://t.co/9dMHBnDCsrhttps://t.co/Fyk580OkQ3
それじゃ、アペマン君的には、菅直人に対する名誉毀損訴訟の敗訴結果を以て「菅直人が海水注入を止めた」という安倍首相の解釈が"事実"だとされても本当にイイのね?
— 山本八平 (@yamamoto8hei) March 18, 2019
こいつはほんとうに「一般に名誉毀損訴訟(民事訴訟としては不法行為責任を問う訴訟ですが、一般的な呼称に従っておきます)にはどのような争点があるか」「個別の名誉毀損訴訟ではどの争点が重要になるか」といったことを、まるで理解していないようです。
一般に名誉毀損訴訟で争われるのは以下のような点です。
・被告の表現行為が事実を摘示して原告の社会的信用を低下させたか
・被告の表現行為の対象が公益性を持つか、表現行為が公益目的でなされたものか
・被告の表現に真実性、あるいは真実相当性があるか
・除斥期間が経過しているか
裁判では双方とも各論点で目一杯の主張をすることが多いですが、実際に勝訴/敗訴を分ける争点がどれになるかは、訴訟によって異なります。たとえば原告が公人である場合、公益性、公益目的性が重要な争点になることはあまりありません。
したがって、名誉毀損裁判の結果から一体どのような結論が引き出されるのかを知りたければ、結局は個別の裁判の判決と判決理由を読むしかないのです。
まず「百人斬り」訴訟の場合、東京高裁は「本件摘示事実及び本件論評の基礎事実が、その重要な部分について全くの虚偽であるといえるか否かについて検討」するとした部分において、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては、「百人斬り貌争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」という事実認定を行ったわけです。
なおここで「その重要な部分について全くの虚偽であるといえるか否か」という部分に注目してください。名誉訴訟裁判で被告が勝利するには、別に“ありとあらゆる事柄について疑いなく真実を述べた”ことを立証する必要はありません。たとえば植村隆氏が櫻井よしこ氏を訴えた裁判の札幌地裁判決では、櫻井氏の記事の真実性は否定されましたが、真実相当性が認められて櫻井氏の勝訴となりました。だから現時点で櫻井氏やその支持者は「櫻井よしこが記事を書くにあたってかくかくしかじかだと信じたのには相当な理由があった」と主張することはできますが、「櫻井よしこの記事は真実であった」と主張することはできません。「百人斬り」訴訟について言えば、被告が勝訴したからといって『東京日日新聞』の「百人斬り」報道が真実を伝えていたと主張することはできませんが、両少尉が「百人斬り貌争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実は否定できない、とは主張できるわけです。
さてでは菅直人対安倍晋三の訴訟からはなにが言えてなにが言えないのか。判決を読めば、この場合もやはり安倍晋三メルマガの当該記述が全て真実であると認められたのではない、ということがわかります。そして判決で“真実とは言えない”とされたのがまさに安倍メルマガ中の「注入は菅氏の指示で中断されていた」という記述なのです。だから、安倍氏が勝訴したこの裁判から私たちが引き出すことの出来る結論は、インチキ野郎の主張とは全く逆に、「菅直人が海水注入を止めた、というウソを安倍晋三はついた」ということなのです。