「特攻」関連本2冊

まずは前回の『ノモンハン 責任なき戦い』同様に NHK スペシャルをベースにした大森隆之『特攻の真実 なぜ、誰も止められなかったのか』(幻冬舎文庫、2018年)。番組タイトルは「特攻 なぜ拡大したのか」(2015年8月8日放送)。

まず言っておかねばならないのは、この本を幻冬舎から出したのは明らかに不見識だ、ということ。同社は小林よしのりの『戦争論』や小川榮太郎の『『永遠の0』と日本人』などの版元でもある。NHK スペシャルを基にした本、しかもテーマが「特攻」であれば他にいくらでも選択肢はあったはずで、読んでいる間中「なぜ?」という疑問が頭を離れなかった。

また近年、特に右翼的というわけでもない書き手の書いた本を読んでいても歴史修正主義の浸透っぷりを感じさせられることが少なくないのだが、本書もまた同じだった。小学生時代に4年間アメリカで過ごしたという著者は、日本帰国後に感じたこととして「「国家」「軍隊」「軍人」は、毎年八月に、声をひそめながら語るものだった」としている。これ自体右派の言説によく出てくるクリーシェであるが、これに続けて著者はこう言っている。

(……)八月になるとテレビ各局で流れる「声をひそめた番組」も欠かさずに見た。アジア諸国を食い物にした欧米列強の帝国主義の歴史を知り、「アジアの解放」を大義名分に掲げながらも、やがては欧米諸国と同じ穴のムジナとなり、結果アジアの人びとに多大なる犠牲を強いた軍国日本の悲しい歴史を学ぶなかで、いつしか、戦争の当事者たちから直接話を聞きたいと思うようになった。(……)

(電子版、リーダーの表示で3.9%)

これは日中戦争と植民地支配への視座を欠いた歴史像であり、2015年の安倍談話のそれと対して違わない。「大東亜共栄圏」などといい出した時には大日本帝国はとうに「欧米諸国と同じ穴のムジナ」だったことは当ブログの読者の方であればよくご存知であろう。

とはいえ「さすが NHK の取材」と思わせるところはある。例えば1945年6月12日に作成された「決号作戦に於ける海軍作戦計画大綱」とその附属統計書から海軍の見通しの甘さを剔抉した点(65.4%〜66.2%、同前)。約1,500隻と見積もった米軍輸送船の半分を撃破できるという軍令部総長豊田副武の大言壮語をもっともらしく見せるためにでたらめな見積もりをした軍官僚たちが、いまの霞が関と重なって見える。特攻への過大な期待が結局は降伏を遅らせたことも説得的に明らかにしており、特攻擁護の俗論への明確な批判となっている。

また複葉練習機の「あかとんぼ」(93式中間練習機)まで特攻につぎこんでいたことは比較的よく知られていると思うが、偵察員の機上作業の訓練機「白菊」による特攻部隊まで編成されていたことは本書ではじめて知った。爆装すると最高速度は時速 180 キロほど、急降下からの機体引き起こしが困難なため急降下訓練を一切行わずに出撃した(56.5%)とのことである。

 

もう一冊も NHK スペシャルと縁のある本。2009年に放送された「日本海軍 400時間の証言」で紹介された「海軍反省会」。その書き起こしから「特攻」に関連する部分を集めて編集した戸髙一成『特攻 知られざる内幕 「海軍反省会」当事者たちの証言』(PHP新書、2018年)。こちらも版元は歴史修正主義レイシズムをビジネスにしているところだが、編者が編者なので期待するだけ無駄か、と。

「反省会」に参加するような元軍人たちであるから、比較的には旧軍に対して批判的な視点をもっているひとたちなのだろうし、「作戦」としての特攻は否定されるべきだということは当然のようにコンセンサスにはなっている。それでも当時の日本社会における「特攻」批判には敏感に反応し、その「戦果」を強調しようとしているあたりは興味深い。

本書に収録されている発言の多くは参謀として自らも「特攻」に関わった鳥巣建之助のもので、それに対して他の参加者がコメントしたり質問したりという流れになっている。やはり旧海軍を突き放してみているという点で大井篤は他の参加者より一枚も二枚も上だな、という印象を持った。

 

 

『ノモンハン 責任なき戦い』

2018年に放送された NHK スペシャル『ノモンハン 責任なき戦い』講談社現代新書で書籍化したもの。

本を読むにあたって番組を見直すことはしなかったので放送で使われていたかどうか記憶がはっきりしないが、引用されている辻政信の回想に次のようなものがある。

よく知られているようにノモンハンでの戦いで関東軍は独断で越境爆撃を行っている。これを強く主張したのが辻であることもよく知られている。関東軍は計画が事前に参謀本部に伝わらないための工作も行い、のちの大本営発表を思わせる誇大な戦果を得意げに発表した。これが当時の作戦課長、稲田正純を激怒させる。関東軍の作戦課長に電話をかけ「もってのほかだ」「これ以上言うたら、首切るぞ」などと怒鳴り上げたという。統帥権干犯という暴挙なのだから、当然であろう。ところが辻は次のように主張しているという。

死を賭して敢行した大戦果に対し、しかも明らかに我は報復行為に出たのに対し、第一線の心理を無視し、感情を蹂躙して何の参謀本部であろう。(中略)もしもこの際、「やあ、おめでとう。しかし、この次からは連絡に注意してくれよ……」とでも言われたら、お詫びの電報でも出したであろうにーー。

驚くほどの「甘え」であろう。筋からいえば「次からは連絡に注意してくれよ」程度ですむ話ではもともとないのだが、その「連絡」は故意にネグったわけである。参本には自分たちの「心理」に配慮することを要求しながら稲田の立場や心理はまったく考慮していない。

ところが同じようなことを考えたのは辻だけではないという。関東軍の航空主任参謀・三好康之中佐の次のような回想が引用されている。

私もこれを聞いた時、作戦室で、くそって思うたね。稲田の野郎と思って。私もあの時はちょっと癪に障ったね。自分の非もあるんだから。こういうことやったら、やってしまった後についちゃ。参謀本部も、責任は俺が負ってやるというくらいのことがあってほしいもんだよ。それがなんだ、自分の責任ばかり考えて、お前ら馬鹿、俺の言うこと聞かんって言って怒鳴りつけるというのは、そりゃ間違ってると思うね、私は。

自分たちが勝手にやった統帥権干犯の越境爆撃の責任を参本にとれ、というのだからあきれる。(以上、78-80ページ)

 

さて話題になったテレビ番組の制作者が取材結果を書籍化することはよくあるが、番組にはない書籍ならではの内容として一般的なのはどのような問題意識や着眼で取材と制作にあったったのかが詳しく書かれている、ということだろう。本書の場合、番組ディレクター(の一人)だった著者は「辻政信という軍人をどう捉えればいいのか」という点にこだわりがあったようだ。辻の遺族も番組に登場していた。この次男は父について「現場主義」の人間というイメージを持ち、自分もそれに習うことを旨としてきたという(90ページ)。「満州の最前線でソ連軍と向き合い、汗をかいていた父親の思いは、東京の参謀本部の人間には分からないと毅さんは確信を込めて語る」(90-91ページ)。

辻が参謀らしくもなく最前線に出かけていたことはよく知られている。先の越境空爆でも辻は爆撃機に同乗している。遺族が父親に対して抱くイメージそれ自体に文句をつける必要もない。だがノモンハンガダルカナルの惨状を考えるとき、辻が「現場」「最前線」でなにを見たか(あるいはなにを見なかったか)ということは問われなければならないだろう。また、先の辻の回想にもあったように、「現場主義」を強引な主張を押し通すためのテコとして辻が利用したのではないか、ということも。

また辻が半藤一利によって「絶対悪」と評されたことに辻の次男が強い怒りを抱いていたことも著者の印象に残ったようだ。私が見損なった、石川テレビの番組制作者の問題意識に近いのかもしれない。ただ辻をそう評したのが(『文藝春秋』出身の)半藤一利であるという事実は、「むしろ保守系の評論家が歴史について書くものの方がよほど「個人」を焦点化する傾向があるのではないでしょうか」という私の仮説の例証になっているだろう。

アウシュヴィッツ解放75周年、またひとつ埋まった“外堀”

2月27日はアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所がソ連軍によって解放されてから75年目の日に当たり、記念式典が行われています。

-BBC NEWS JAPAN 2020年01月28日 「アウシュヴィッツ解放75年、各国首脳が式典出席 反ユダヤ主義への対抗呼びかけ

これに先立ち、オランダの首相がホロコーストに関して「十分に保護せず、助けず、認識しなかった」ことを謝罪しています。

-BBC NEWS JAPAN 2020年01月27日 「オランダ首相、ナチス虐殺で初めて謝罪 ユダヤ人保護せず

個人としての積極的協力者は別として、国家としてのオランダはホロコーストを積極的に立案・推進したわけではなく、ドイツに占領されている状況下でホロコースト政策に抵抗しなかった責任を問われていたわけです。人道に対する犯罪の進行を看過したことが「謝罪するようなことはしていない」とみなされない。これが2020年以降のスタンダードとなってゆくでしょう。

日本の右派は世界中から「謝罪していない」事例を探し出しては謝罪しない理由にしてきましたが、その材料が一つ減ったことになります。

12月の戦争関連番組(その2)

続いて実際に見た番組について。

-読売テレビ 2019年12月8日(日) 25:05 NNN ドキュメント '19「つぐない BC級戦犯の遺言」

今年は日本軍の加害をテーマにした番組がほとんどありませんでしたが、この番組もまたBC級戦犯の“受難”、特に死刑になった戦犯とアメリカの方針転換により減刑された戦犯との対照的な運命が主題となっていました。殺された捕虜や裁いた側の視点からBC級戦犯裁判をとりあげた番組って、ほんとうにつくられませんね。

さて命拾いした戦犯の例としてとりあげられていたのが、西部軍事件の冬至大尉です(写真は番組に登場した遺族)。

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西部軍事件は『法廷の星条旗』でも検討の対象とされていましたが、同書を出した横浜弁護士会BC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会の委員長だった間部弁護士も同事件の死刑判決の減刑についてコメントしていました。

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-読売テレビ 2019年12月8日(日) 25:05 NNN ドキュメント '19「バヤルタイ〜モンゴル抑留72年越しのさようなら〜」

シベリア抑留に比べてはるかに知られることの少ないモンゴル抑留の生存者に取材したという点で興味深いものでしたが、最近『週刊ポスト』に掲載された記事をめぐる騒動との関連でなかなか興味深いシーンがありました。

元徴用工の「日本人にはとても親切にされた思い出があります」といった“証言”をウリにしたこの記事について、韓国の MBC テレビが「証言を歪曲している」と批判する番組を放送した、というのです。

徴用工問題に関して『週刊ポスト』が信頼に耐える記事を掲載するかどうか大いに疑問ではありますが、いまは MBC の批判の当否については保留しておきます。ここでは、社会主義政権崩壊後に「マンホール・チルドレン」が急増したモンゴルで一時期孤児院を運営していた元抑留者の証言をとりあげたいと思います。

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抑留の被害者(この男性は抑留中に両足を失っています)がなぜモンゴルで孤児の支援を? と問われたのに対して答えている場面ですが、1枚目の証言と3枚目の証言を抜き出せば、まるで逆のことを言っているように思えます。

この元抑留者にしても元徴用工の男性にしても、非常に複雑な思いを胸に秘めているであろうことは想像に難くありません。しかしふつうの人間はマスメディアの取材をうけることなどなく人生をすごすわけで、そうした複雑な思いをカメラの前で理路整然としゃべる訓練など受けていないわけです。聞き手がどのような質問をするかによっても話し方は変わってくるでしょう。“証言の矛盾”なるものの多くはこれと同じようなケースなのではないでしょうか。

恨みは恨みとして、圧倒的な貧困を自分の目で見てしまった以上なにかをせずにはいられない……というのは、誰にでもできることではない一方で、そう特殊な心理というわけでもないでしょう。この男性は河村たかしのような“恩を仇で返す”論法に対するなによりの反証になっているということができます。

-NHK Eテレ 2019年12月14日(土) 午後11:00~ ETV特集「ある特攻隊員の死~祖母とたどる兄の最期~」

“兄は8月15日に特攻死した”と母から聞かされていた祖母。孫にあたるNHKのディレクターが大叔父の取材をはじめる……。また“特攻隊員の悲劇もの”ですか、という気持ちで見始めたのですが、実は大叔父は1945年の4月、菊水作戦開始の初日に出撃して戦死していたという事実が明らかになります。4月6日と戦死日が記載された戦死公報も実家から発見(ただし戦死公報が届いたのは46年3月)。祖母の母はすでに故人であるので、なぜよりにもよって“終戦後に出撃して戦死した”という物語を娘に話したのかは謎のままおわるのですが、戦没者遺族が家族の死をどう受容したのかについて、考えさせられる内容でした。

12月の戦争関連番組(その1)

はてなからメールが来て気づいたのですが、はてなダイアリーからはてなブログに移行してちょうど1年になるんですね。更新する頻度が落ちているせいもあるでしょうが、なかなかこのインターフェースに慣れません。

今年もアジア・太平洋戦争に関わるドキュメンタリーがテレビで放送されたときにはなるべく録画するよう努めていたのですが、読者の方からお知らせをいただいていたのに見逃してしまったのがフジテレビ系列の石川テレビが制作した辻政信についてのドキュメンタリー「神か悪魔か」です。関西テレビでは12月5日未明の2時50分から放送されたのですが、これを「5日深夜2時50分=6日未明2時50分」だと勘違いして録画予約が間に合わなかったためです。

なので番組サイトを見ていてちょっと思ったことを。番組ディレクターは次のように述べています。

戦争で命を落とした人々の無念を思えば、責任を逃れて生きた辻への批判はあってしかるべきだと思います。一方、これから戦争を語りつぐ上で、その責任が“個人”にばかり向けられていることに、私は違和感を覚えました。戦争の悲劇は、誰かがいたからではなく、誰も止められなかったから起きたと考えるからです。

しかし歴史学者アジア・太平洋戦争について書いた著作を読んでいると「その責任が“個人”にばかり向けられている」というのは当たらないのではないかと思います。歴史修正主義者からもっとも敵視されている歴史学者の一人は吉見義明さんでしょうが、吉見さんの本を実際に読んで「個人」の責任ばかりが追及されているという印象をうけるひとはまずいないのではないかと思います。笠原十九司さんの文章は吉見さんよりは“熱い”ですが、やはり特定個人の責任追及に主眼が置かれているとは思えません。

歴史学というのが「構造」の記述を目指しているのだとすれば、これは当然のことです。むしろ保守系の評論家が歴史について書くものの方がよほど「個人」を焦点化する傾向があるのではないでしょうか。歴史教科書についても右派の方が(批判ではなく顕彰のためという違いはあれど)個人の事績をとりあげるよう主張してきたはずです。

右派のクリーシェのひとつに「現在の価値観で過去を裁くな」がありますが、実のところ右派が好む歴史記述の方が「個人」を焦点化しているという点で「裁き」に親和的だろうと思います。そして歴史修正主義に対抗していくうえでの困難の一つは、「個人」に焦点化した歴史記述の方が一般受けする、という点にあるのではないか、とも。現にこの番組のタイトル「神か悪魔か」も辻という「個人」の評価を前面に出したものになっているわけで……。

 

wam「日本軍慰安所マップ」ウェブサイト公開開始

wam アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館の公式サイトにおいて、「日本軍慰安所マップ」が公開されました。マップだけでなく日本軍「慰安所」についてのイントロダクションと根拠資料も付属する力作です。

また、同じく wam のサイトで公開されていた「河野官房長官談話後に発見された日本軍「慰安婦」関連公文書等」が2016年にリニューアルされ「日本政府認定済公文書」と「日本政府未認定公文書」をあわせて閲覧できるようになりました。遅まきながらご紹介させていただきます。

 

はてなグループ「従軍慰安婦問題を論じる」ミラーサイト

年末でサービスを停止するはてなグループで運営されていた「従軍慰安婦問題を論じる」のミラーサイトが立ち上がった旨、id:kmiura さんよりお知らせをいただきましたミラーサイトこちらになります。永井和さんという専門家のご指導をいただきつつ市民が日本軍「慰安婦」問題について考え、議論をしていった貴重な記録を残していただいたことを感謝いたします。