NNNドキュメント(6/21)「封印〜沖縄戦に秘められた鉄道事故〜」

6月21日深夜(22日未明)、日本テレビ系列のNNNドキュメント'20で「封印〜沖縄戦に秘められた鉄道事故〜」が放送予定です。 清水潔さんの担当回のようです。

 

報道特集(6/14)「朝鮮女子挺身隊〜苦難の人生」

TBS系列で放送されている「報道特集」、6月14日の放送の後半で「朝鮮女子挺身隊〜苦難の人生」という特集を放送していました。動員された先の企業である不二越の地元、富山チューリップテレビの記者が元挺身隊員や支援にとりくむ市民に取材したものです。最高裁段階で和解が成立した一次訴訟と和解なしで原告敗訴が確定した二次訴訟の間に起きた日本社会の変化についてもう少し追及してくれればよかったとは思いますが、地方局らしい市民目線の特集ではあった、と思います。

……残念ながら、女子挺身隊に関する公文書や資料は少なく、幼い少女を騙して日本へ連れて行った経緯や過酷な労働を裏付けるものは彼女たちの証言しかありません。しかし、彼女たちがいくら苦痛を訴えても、日本政府や日本企業が認めない限り、その証言が真実だとは、公に認めてもらえません。元挺身隊〔員〕はみな90歳前後になっています。残り少ない人生となったいま、彼女たちが本当に欲しいものはお金ではなく、“わたしたちが悪かった”という加害者側の謝罪のことばなのだと感じました。

取材にあたった記者の総括です。被害を公的に認めることの重要性を指摘していたのは、日本政府が「産業遺産情報センター」で朝鮮人差別を否認する元島民の“証言”を公開するという愚挙に出ることが明らかになった直後だけに、意義のあることだったと思います。ちなみにリンク先の共同通信の記事は、例によって例の如くの「批判を招きそうだ」記事ですが、「当時の軍艦島では、多くの朝鮮人労働者が非道な扱いを受けたとされる」ことを「定説」と記述している点は評価できます。

日常のなかのキノコ雲

-NNNドキュメント'20 2020年5月24日 「クリスマスソング 放射能を浴びたX年後

2011年以降、日本各地で行われた放射線測定。その過程で核実験由来の放射線が見つかった。浮かんだのは半世紀以上前の列強国による核実験。当時、その海域で日本の漁船が操業していたという事実を掴んだ取材班は、船を特定し乗組員の追跡を始めた。生存者の口から語られる目撃証言。さらに核実験に関わったイギリス軍の元兵士や遺族も重い口を開き始める。その海で何があったのか。16年間にわたる取材が謎を解き明かしていく。

マグロ漁船の元乗組員だけではなく、元イギリス軍兵士やその遺族にも取材した、見ごたえのある55分枠放送だった。日本のマグロ漁船の被爆は「第5福竜丸」というシンボルによってそれなりには知られていると思うが、ここで紹介されるイギリス軍兵士の被害について具体的なことを知るのは私も初めて。価値のある仕事だが、毎度のことながら日本軍の加害についてもこれだけの取材が重ねられていたら……と思わされる。

もっとも印象深かったのは、兵士たちが日常のなかで撮った写真に写っている核実験。イギリス軍が写真撮影を禁止しなかったため残ったものだが、なかでもこの一枚はシュール(スマホでテレビ画面を撮影した際の歪みはご容赦)。

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「クリスマスソング 放射能を浴びてX年後」より



 

朝鮮人鉱夫「賃金」の民族差別に関する李宇衍の主張の実態

日本軍「慰安婦」問題や「徴用工」問題に関しては、日本の右派メディアが積極的に主張を展開する一方、それに対する反論を主流メディアがほとんどとりあげない状態が続いています。李栄薫(編著)『反日種族主義』(文藝春秋)についても同様です。日本の右派メディアがとりわけ強調しているポイントの一つが、李宇衍が論文「戦時期日本に労務動員された朝鮮人鉱夫(石炭、金属)の賃金と民族間の格差」で展開した、“朝鮮人炭鉱夫に対する賃金差別はなかった”という主張です。

差別現象の多くに共通するのは「制度上の建前」と「実態」との間に大きな乖離がある、ということです。これこそ先のエントリで私が「……のはずだ」「……のはずがない」論法として批判した歴史修正主義の手法に関わることです。“リンカーンが奴隷を解放したのだからそれ以降のアメリカに黒人差別は存在しない”と聞かされてそれを鵜呑みにする日本人はまずいないでしょうが、朝鮮人の強制動員については事情が違うわけです。朝鮮人炭鉱夫への差別が存在したかどうかを考えるうえでは「制度上の建前」ではなく「実態」をこそ見据える必要があるのに、前者を盾に差別を否定しているのが李宇衍らの議論なのです。

そうした批判は、主流メディアではほぼ完全に無視されているものの、すでに行われています。その一例として、「強制動員真相究明ネットワークニュース」の第9号(2017年6月19日)に掲載された「強制動員・北炭の給与明細書」(竹内康人)があります。

 2017年4月11日、産経新聞は「歴史戦・第17部 新たな嘘」で、韓国・落星台経済研究所の 李宇衍「戦時期日本に労務動員された朝鮮人鉱夫(石炭、金属)の賃金と民族間の格差」、九州大学三輪宗弘の発言などを利用して、「韓国で染みついた「奴隷」イメージ、背景に複雑な賃金計算法、『意図的な民族差別』事実と異なる、韓国人研究者が結論」とする記事を出した。

 その記事には、朝鮮人の給与明細書の写真が掲載されている。その給与明細書の写真をよくみると茂山秉烈のものが多い。ここではこの給与明細書について記すことで、強制動員された朝鮮人の状況について考えたい。

 李宇衍や産経新聞が「一次資料」からなにをトリミングしたか、そしてその効果がどのようなものであるかは、これを読めば明らかです。

 

歴史修正主義の手法はどこでも同じ

ちゃんととりあげなければ、と思いつつ先延ばしにしているのが李栄薫らの『反日種族主義』(文藝春秋)です。とはいえ、先延ばしにしている最大の理由は、同書の内容に目新しいところがないことであり、単に内容だけを問題にするならば改めて批判するまでもありません。目次を見るだけでも、李栄薫らの主張が日本の右翼のそれ(例えば百田尚樹の『今こそ、韓国に謝ろう』など)と変わらないことは一目瞭然です。

そう考えると、版元サイトでの同書の紹介はちょっと笑えます。

本書がいわゆる嫌韓本とは一線を画すのは、経済史学などの専門家が一次資料にあたり、自らの良心に従って、事実を検証した結果をまとめたものであるということだ。
その結果、歴史問題の様々な点で、韓国の大勢を占めてきた歴史認識には大きな嘘があったことが明らかにされている。そしてそうした嘘に基づいた教育が何年も積み重ねられた結果、韓国の人々の多くは誤った歴史認識を正しいものと信じ込み、反日に駆られている。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/1639115800000000000H

他のヘイト本歴史修正主義本と差別化しようとして「嫌韓本」がデタラメだと暗に認めてしまっています。しかし「民族主義」の代わりにオレオレ定義の「種族主義」などという用語を用いる動機は明らかに学術的なものではなく、政治的なものです。

同書を見ていて「ああ、やっぱり」と思ったのは、日本の歴史修正主義者が好んで用いる「〜のはずだ」「〜のはずがない」論法が使われていたことでした。朝鮮人炭鉱労働者の賃金に関する李宇衍の議論などがその典型です。いくら「一次資料」を引き合いに出そうが、その解釈が政治的動機で歪められているのでは意味がありません。

“勝ち組”ランド、アゴラ

池田信夫「勝った、勝った、コロナに勝った!」とはしゃいでおります。考えていることはトランプと同じなのでまともにとりあう価値などありませんが。

もちろんこの方向性は「アゴラ」全体にみられるものですが、とりわけ篠田英朗の駄文はひどい。

狂信的な憲法9条教の信者たちは、冷静な憲法9条の解釈論に応じることすらしない。ただ、憲法9条を信じれば、必ず世界は平和になる、という計算式から議論を始める。そして憲法9条を信じない者がいるために世界は平和にならないという理由で、他人を非難する魔女狩りを始める。憲法9条は常に絶対に正しいという前提から出発すれば、期待した通りの世界が訪れないのは、すべて憲法9条を信じない連中がいるからだ、という結論しか導き出されない。

 『産経新聞』を購読していれば週に一度くらいは目にすることのできる右翼のクリーシェそのものであり、この男が「現実」ではなく「脳内ファンタジー」に立脚してものを語っていることがこの部分だけからもわかります。

真の「受忍論」へ

「ボーナスタイム」だった2月と3月、安倍政権や東京都がオリンピック、パラリンピック開催に執着したために無為に過ごしたせいで、ここへきて感染の拡大がすすんでいます。早くから「検査を拡大すると医療崩壊する」という主張が政権の対応を正当化してきた一方で、この二ヶ月間「医療崩壊」を防ぐための具体的な手立てがろくに講じられてこなかったという現実を前に、願望で現実認識を歪めた戦中の日本を想起したひとも少なくないようです。

現在焦点になっていることの一つは営業「自粛」に対する休業補償ですが、予想通り安倍政権は後ろ向きであり、東京都のように一定の支出を表明している自治体でも「協力金」という名目であって「補償」という用語は忌避されています。

理屈で言えば強制力のある休業命令ではなく「自粛要請」だから補償ではない、協力金だ、ということにはなるのでしょう。しかしこれは実は順序が逆であって、国や自治体の法的責任を明確にする「補償」を回避したいからこそ感染拡大予防の観点からは疑問符のつく「自粛要請」にとどめている……というのがこれまでの日本政府の態度から想像できる真相でしょう。

日本政府が国内の、民間の戦争被害に対する「補償」を徹底的に回避してきたことは当ブログの読者の方には周知の事実ですが、それを司法が追認するために持ち出したのがいわゆる「受忍論」、戦争被害は「国民のひとしく受忍しなければならなかったところであって、これに対する補償は憲法の全く予想しないところ」という論理です。本当に戦争被害を「国民」が「ひとしく」負担するのであれば、この論理にもうなずけるところはあります。しかし現実には階層や性別、地域、さらには単なる運不運により戦争被害の様相は様々でした。さらにいえば戦争被害は「国民」だけがうけるものでもありません。

同じことが新型コロナウイルス感染症についても言えます。事業が壊滅的な打撃をうける業種もあればある種の“特需”に湧く業種もある。テレワークに対応可能な職種もあればリスクのある対人接触を避けることのできない職種もある。戦争被害にせよ、パンデミックの被害にせよ、政府の不作為は「ひとしく」受任することを逆に不可能にするのであって、税金による補償や支援を行ってこそこの社会の成員が「ひとしく受忍」することができるわけです。

ニセモノの受忍論を本物の受忍論で上書きしなければなりません。そのためには安倍政権の不作為を決して「受忍」してはならないのです。