『歴史認識問題研究』別冊号

西岡力高橋史朗が発足した歴史認識問題研究会は『歴史認識問題研究』というどこか既視感のある論集を刊行しています。現在までに全7号と中国人「慰安婦」を特集した別冊号(2018年10月)が出ています。

今回とりあげるのはこの別冊号です。数人がかりでひたすら蘇智良の「慰安婦」研究が穴だらけであると主張するものですが、この別冊号に収録されている右派論壇人たちの主張の粗雑さもたいがいです。

一番驚いたのは島田洋一。これじゃまるでレジュメです。おまけに冒頭部分の書誌情報から著者名が抜けているという……。

<総論>中国人慰安婦問題の全体像、明らかになった4つの真実」を書いているのは西岡力。その「4つの真実」の一つ目が「1 中国人慰安婦問題の研究と運動は1992年朝日の慰安婦強制連行プロパガンダを契機に始まった」で、「またか……」とうんざりさせられます。しかし「蘇は自分が慰安婦問題を知ることになったきっかけについて以下のように書いている」として引用されている箇所には一度も『朝日新聞』という単語は出てこないのです。

四つめ「中国人慰安婦20万人説はでたらめな計算の結果」にもインチキがあります。蘇智良が採用した兵員と「慰安婦」の比率(兵29人あたり1人)について「たしかに吉見 は 1992 年に出した『従軍慰安婦資料集』(大月書店)の解説で〈当時、「ニクイチ」という 言葉がかなり流通していたようである〉(83 頁)と書いている。しかしその根拠をまった く示していない」としています。しかしこの資料集が出るより早く、『正論』の1992年6月号において秦郁彦が「兵隊二九人に女一人を意味する「ニクイチ」という「適正比率」が一部に流通していたこと」(文春文庫の『昭和史の謎を追う 下』では487ページ)と書いていることは無視しています。

たしかに蘇智良の推定は関係する各パラメーターについて「慰安婦」の総数が多く出る方向にかなり引っ張った数字を採用しており、その結果の蓋然性は極めて低いと私も思います。しかしそれを言うなら秦郁彦も総数を少なくする方に自説を修正した際、理由をロクに示していません。

四つのうち多少なりとも事実を含んでいるのが「3 名乗り出た中国人元慰安婦の大部分は、「慰安婦」ではなく「戦時性暴力被害証言者」」です。たしかに万愛花さんら被害を名乗り出た中国人被害者は「慰安婦」と呼ばれることを拒否し、彼女たちを支援してきた日本の運動体(山西省明らかにする会)も「慰安婦」という用語を用いていません。しかし彼女たちへの加害の背景には軍「慰安所制度」や日本軍の治安戦思想があると考えられているために、「慰安所」制度と同じく日本政府・日本軍の責任が問われているわけです。

ちなみに中国人被害者に関する研究については続く勝岡寛次日本における中国人慰安婦の研究と運動」が比較的詳しく扱っています。機会があればこれは別途とりあげてみたいと思います。

2020年の「9月18日」

今年も「柳条湖事件」と「満州事変」でニュース検索してみました。結果は案の定です。いちいち記事にリンクを貼る気もしないのでスクリーンショットで済ませます(「柳条湖事件」で検索した結果の一部)。

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柳条湖事件」のニュース検索結果の一部

2日前の9月16日に「90年目の満洲事変 勃発前に陸軍大将の「非戦」講演があった」と題する、陸軍大将渡辺錠太郎についての記事を出して一瞬「おやっ?」と思わせたのがNEWSポストセブンです。しかし読み始めるとこれは小学館から刊行された渡辺の評伝のパブ記事に近いものだということがわかります。

ひどかったのは東洋経済ONLINE。皮肉なのはこの記事の1ページめに表示されていた日本IBMの広告のキャッチコピーが「日本のビジネスを、もっと強くしなやかに」だったことです。ビジネスの現場にいる日本人に「9.18」をことさら「反日」だと認識させようとする記事を掲載することが、日本のビジネスにとってプラスになるとは全く思えないのですが。

これとは別の意味で酷かったのが18日当日の朝日の社説です。9月18日に満州事変をスルーしてまで載せるのがこれか、と呆れ果てました。

 

ETV特集「隠された毒ガス兵器」

-NHK Eテレ 2020年9月12日 ETV特集隠された毒ガス兵器

9月16日(水)深夜24時(=9月17日(木)午前0時)から再放送予定。

アジア太平洋戦争当時には毒ガスの研究、製造そのものは違法ではなかったため、「使用」にどこまで踏み込めるかが問題だと思っていましたが、吉見義明先生のコメント付で中国戦線での使用例が紹介されていました。また関東軍化学部の留守名簿等が近年公開されたことを紹介、生存者にも取材し、731部隊と連携して「丸太」に対する人体実験を行っていたという証言を引き出しています。この夏に放送された番組の中では「加害」に一番迫った番組でしょう(だから8月の放送を避けた?)

なお上海派遣軍が「きい」を含む毒ガスを配備していたことについてはこちらの記事を御覧ください。

 

2020夏の戦争番組

日本社会が急に戦争を思い出す8月も今日で終わりです。この夏に放送されたアジア・太平洋戦争に関連した番組中、地上波で18本(1本は7月30日放送、またレギュラー報道番組中の特集も含む)を録画し、BSでは5本(過去の番組の再放送を除く)を録画しました。

そのほとんどはすぐに視聴したのですが、NHKスペシャルの「渡辺恒雄 戦争と政治〜戦後日本の自画像」は放送予定をはあくした時点でゲンナリしてしまいまだ見ることができずにいます。

もはや指摘するのもゲンナリしますが、20本を超えるこれらの番組のうち旧日本軍の加害や連合国および戦場になった国々の人々の被害を正面からテーマにしたものは一つもありませんでした。8月2日放送のテレメンタリー2020「揺れる平和都市〜被服支廠は残るのか〜」と8月3日放送のNNNドキュメント煉瓦の記憶 広島・被爆建物は語る」がいずれも旧被服廠の保存問題をあつかっており、「軍都としての広島」という視点が強調されていたこと、また8月15日のNHKスペシャル忘れられた戦後補償」で旧植民地出身の軍人が補償・援護の対象から外されたことがかたちばかり触れられていたのと、金学順さんの映像を用いてアジアの被害者からの補償要求があったことに触れたこと。8月14日の大阪空襲を扱った関西テレビ「報道ランナー」戦後75年特集が砲兵工廠の存在を扱ったこと。印象に残ったのはこれくらいでしょうか。ABCテレビの夕方のニュース番組「キャスト」の8月13日放送で建国大学をとりあげるというのでかすかに期待して録画したのですが、“往時を懐かしむ卒業生”というテイストが強く満足のゆくものではありませんでした。これでも右翼の脳内ではマスメディアが自虐史観に染められていることになっているのですから、やってられません。

 

さて、放送予定を把握していながらあえて録画もしなかった番組が一つだけあります。8月13日の「#あちこちのすずさん 戦争中の青春をアニメで!千原ジュニア&八乙女&伊野尾」です。見ていない以上この番組そのものについて語る資格はないのですが、番組タイトルでも使われている「戦争中の青春をアニメで」というアプローチ、若い世代を意識して題材やメディアを選ぶ手法の問題点は「ひろしまタイムライン」ツイッターアカウントによって露呈した、と言えるでしょう。そりゃ戦争中の日本にも「青春」はあったでしょう。しかしアジア・太平洋戦域ではそれ以上に多くの非日本人の「青春」が踏みにじられたわけです。それとも加藤典洋よろしく「まず戦争中の日本人の青春に思いを致さなければ、他国の人々の青春に思いを致すことはできない」とでも考えているのでしょうか。

読売新聞「昭和史の天皇」音声アーカイブス

読売新聞が1967年から1975年にかけて連載した「昭和史の天皇」、その取材テープが公開されています。

「昭和史の天皇」音声アーカイブス

今後どれくらいコンテンツが追加されるのか不明ですが、戦中の日本で比較的高い地位にいた人物がまだ存命だった時期のものです。今後とも追跡しておきたいと思います。

『沖縄戦史』収録証言の電子化

s3731127306973 さんからの情報提供です。

沖縄県史』第9巻、第10巻の証言部分が電子化され、内閣府のサイトで公開されています。

https://www8.cao.go.jp/okinawa/okinawasen/testimony/testimony.html

 

 

2020年夏、加害への眼差し(追記あり)

アジア・太平洋戦争に関する記事や番組が増える季節になりましたが、毎年のことながらその大半は“日本人の悲惨な体験”を扱ったものです。そのなかで日本軍による被害体験を扱ったものとして目についたものは泰緬鉄道に関するものでした。

一つは東京新聞によるイギリス人元捕虜へのインタビュー記事です。本日の時点で2回目までが掲載されています。

-100歳元英兵が語る ジャングルに散った親友〈死の鉄道〉(1)」

-生ける骸骨の集団、腐敗臭にまみれた病人小屋〈死の鉄道〉(2)」

もう一つは FNNプライムオンラインに掲載された「終戦から75年…旧日本軍が建設した“死の鉄道” 悲劇の現場で働いたタイ人とマレーシア人の証言」です。二人の証言者のうちタイ人のトンプロムさんは自身が虐待をうけたわけではありませんが、現場で「数え切れないほどの数」の捕虜が亡くなっているのを目撃した、とはなしています。

 

16日追記

朝日新聞』がまたしても泰緬鉄道建設を体験した捕虜(オーストラリア軍)のインタビューを掲載しています。

-日本憎んだ元捕虜、75年後の許し「でも、忘れない」

東京新聞の連載も4回目に達しました。

-敵ではなかった日本兵「あの戦争に勝者はいない」<死の鉄道>(3)

-英国民から「忘れられた軍隊」 今、彼らが語る理由 <死の鉄道>(4)

日本軍による戦争被害の例として有名であるとはいえ、単なる偶然でしょうかね。

それはさておき、東京新聞が取材したバート・ウォーンさん(第3回)と朝日新聞が取材したキース・ファウラーさんが、ともに妻に先立たれてから捕虜体験を語るようになった、と語っていることは示唆的です。東京新聞の連載第4回でも、「戦後50年の節目や妻の死、退職などをきっかけ」にアジア戦線でのイギリス人元捕虜が口を開くようになった、とされています。