「歴史戦」の毒が回りきった日本社会

SNS等でさんざん話題になっているのですでに皆さんご存知のことでしょうが。

www.fnn.jp  (アーカイブ

本人もツイッターで“自白”していました。

 

いくつもある記事の中からこれを選んだのは、「歴史戦」の関連タームである「情報戦」が佐藤議員の口から出ている、という理由です。「情報戦で負けている」って、いったいどこと戦っているという認識なのでしょうか? 「ウクライナ政府のSNSなどをチェックする担当者を設けるよう求めた」って、これではまるでウクライナが「敵国」であるかのようです。

今回の事態は、大日本帝国がイタリアやドイツと軍事同盟を結んで侵略戦争を引き起こした、という国際的には常識中の常識である認識を表向き受け入れるフリをすることすら、いまの日本政府には難しくなってしまっているということを意味します。戦前戦中の日本の政治体制を「ファシズム」と呼ぶかどうかについて学術的な議論があるからといって、日本がファシストやナチと手を結んだ全体主義国家である事実は覆すことができず、その日本を代表する指導者として昭和天皇が引き合いに出される(それは必ずしも昭和天皇個人をファシストとする評価を含意しない)のは当然のことです。首相では日中戦争勃発時、対英米戦争勃発時、敗戦時でそれぞれ別の人物になってしまうわけですから、アジア・太平洋戦争期を通じて同じ地位にいた政治的リーダーといえば昭和天皇ということになるわけです。

吉田裕さんは日本社会の戦争責任認識について、内向きと外向きを使い分ける「ダブルスタンダード」をかつて指摘しました。しかし第二次安倍政権時代に右翼の要求を日本政府が容れつづけ「歴史戦」に加担するようになった結果、内向きの論理が外向きのポーズを侵食してしまったように思われます。

毎日新聞で南京大虐殺否定論批判

4月1日と8日の『毎日新聞』夕刊に「日本国紀「南京大虐殺はウソ」論を検証 上・下」が掲載されました(大阪本社版)。インタビューを受けているのは笠原十九司さんです。

4月1日夕刊

4月8日夕刊

ご覧の通り(新聞としては)かなりのスペースを割いています。とりあげられている「ウソ」は7つ。

南京大虐殺中国国民党の宣伝

・ダーディン記者、スティール記者の記事は伝聞に基づく

・南京には各国特派員も大勢いたのに大虐殺は報じられていない

・南京の人口は20万

・日本軍兵士と南京市民の和気あいあいとした日常生活を写した報道写真がある

・南京市以外での大虐殺の話がない。日本軍の軍紀は厳正

・30万人も殺したのに松井石根一人しか裁かれていない

 

「真珠湾」への言及にすら耐えられない日本政府

3月24日に行われたゼレンスキー・ウクライナ大統領のリモート演説。実施が議論され始めた当初右派は大はしゃぎだった。代表的なのがこれだろう。

要するに第一次湾岸戦争時の "Show the Flag" 発言の再来をゼレンスキー大統領演説に期待していたわけである。

そうした右派に冷水を浴びせたのが、アメリカ議会でゼレンスキー大統領が「真珠湾攻撃」に言及したことだ、というのはみなさん御存知の通り。歴史修正主義者が取り乱すだけでなく、日本政府も日本の国会では「真珠湾」に言及しないよう根回ししたという報道がある。

digital.asahi.com

 ただ生中継での演説になることで、日本側が事前にゼレンスキー氏の発言を把握することは難しくなった。演説内容を両国間で事前に調整することがほとんどないままとなるため、「日本企業はロシアから全部撤退しろと言うのでは」(閣僚経験者)という臆測や、「何を言い出すか心配だ」(自民幹部)と懸念する声もあがる。

 そうした懸念を少しでも払拭(ふっしょく)するため、ゼレンスキー氏の米国議会での演説内容を踏まえ、演説実施に関わった議員の一人はウクライナ側に「真珠湾攻撃には触れないでほしい」と要望したという。

ふつうに考えれば日本の国会で「真珠湾」に言及する意味はない(ロシアのウクライナ侵略と類似しているのは日本の対米戦争ではなく中国との戦争なので)ので杞憂もいいところだが、満洲事変や南京大虐殺731部隊ではなく真珠湾攻撃に言及されることにすら耐えられない、というところにまで日本政府は後退してしまったのか、と考えると空恐ろしい事態だ。対内的には東京裁判について好き放題文句を言う一方で対外的には東京裁判が下した評価を受け入れたふりをするという「ダブルスタンダード」(吉田裕)が自民党政府の基本ラインだったわけだが、長期にわたった安倍政権下でこの外面すら投げ捨てようとする志向が強まり、この欺瞞的な歯止めさえ失われようとしているのだろうか。

 

「幸せなら手をたたこう〜名曲誕生の知られざる物語〜」

昨年11月にBS1スペシャルとして放送された「「幸せなら手をたたこう〜名曲誕生の知られざる物語〜」。

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これはもともと2016年に放送された番組だそうですが、これが去る2月14日、15日にBSプレミアムの「プレミアムカフェ」枠で再放送されました。日課の番組表チェック時に番組名は見たのですが、特にこの曲に思い入れもないのでスルーしていました。

ところが14日の放送時間帯にたまたまチャンネルをBSプレミアムにあわせていたらこんな場面が……。慌てて翌15日の再放送を録画予約しました。

曲の作者の男性は、1950年代にYMCAのボランティアとしてフィリピンに滞在します。その際、日本に対する非常に厳しい視線を体験します。その背景にあったフィリピンの人々の戦争体験が生々しく証言されていました。

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幸せなら手をたたこう〜名曲誕生の知られざる物語〜」より

 

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幸せなら手をたたこう〜名曲誕生の知られざる物語〜」より

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幸せなら手をたたこう〜名曲誕生の知られざる物語〜」より

 

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幸せなら手をたたこう〜名曲誕生の知られざる物語〜」より

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幸せなら手をたたこう〜名曲誕生の知られざる物語〜」より

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幸せなら手をたたこう〜名曲誕生の知られざる物語〜」より

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幸せなら手をたたこう〜名曲誕生の知られざる物語〜」より

作曲者の男性がフィリピンに行くことを自分の父親に話した時、父親は「止めておけ」と話したといいます。理由は説明されなかったので、現地に行って初めて父の言葉の意味を理解したわけです。右派の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」説によれば、大学院生時代に渡比したこの男性はばっちり「洗脳」された世代のはずですが、日本軍がフィリピンでなにをしたのかほとんど知らなかったんですね。

「歩兵第11連隊の太平洋戦争」

昨年末の13日に「戦争関連番組雑感」という日記を書きましたが、その後になって見るべき番組が放送されました。残念ながら地上波ではありませんでしたが。

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マレー半島での華僑虐殺と橘丸事件、及びそれらを裁いた戦犯裁判がとりあげられていましたが、とりわけ印象深いのは華僑虐殺の責任を問われて刑死した下級将校のご遺族(甥)です。BC級戦犯裁判について戦後の日本では、一方的に「裁かれた側」の不平不満が流布することが多かったわけですが、このご遺族の態度はまったく違っていました。

 

また先月13日の日記で言及した「“祈りの山”に堕ちたB-29」の拡大版が年明けに BS1スペシャルとして放送されていました。

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27日に再放送されるようですので、ぜひご覧いただきたいと思います。

「戦争体験継承」をテーマにした番組

「12月8日」以降もポツポツと放映されている戦争関連番組をチェックしていたら、「戦争体験の継承」をテーマにした番組に2つ出会いました。

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後者は今月始めに四国エリアで放送されたものが少し遅れて関西エリアでも放送されたものです。

これらを見ると日本の各地で、戦争体験−−それが被害体験に偏しているという限界はありつつ−−を伝える草の根の努力をしてきた市民がいたことがわかって心を打たれます。「ふれてください、戦争に 伝えてください、未来に」の方は明日26日にBS日テレで再放送されます。

戦争関連番組雑感

今年は“太平洋戦争80年”ということで例年よりも冬の戦争関連番組が多かったように感じます。今年が同時に満洲事変90年の年でもあることはほとんど無視されていること、12月8日にはスポットがあたっても12月13日はスルーされていること、そして日本軍による加害を正面から取り上げる番組は稀であること……という限界は例年通りです。というわけで全体としてはとても高くは評価できない今年の「12月ジャーナリズム」でしたが、いくつか印象に残った番組もありました。

まずは自らの罪への自覚から赦免申請書を出そうとしなかったBC級戦犯を扱ったこの番組。例えば捕虜と民間人を殺害したとして終身刑判決を受けた憲兵准尉は、戦犯釈放のための手続きを推し進めていた国の担当者に「事件の非人道的なことに対する深い反省に基づき 赦免を申請する意思はない」と語ったという。また捕虜殺害でやはり終身刑となった海軍の兵曹長は「いかに上官の命令によるものであったとはいえ 何の恨みもない人の生命を自らの手で奪ったことに対し 深く悔悟しており自ら進んで申請することを躊躇」していると述べたという。これが例外的なケースだったことは言うまでもないことだが、「命令」を逃げ道とせずに自らの行為に向き合おうとした戦犯がいたことはもっと知られてよいのではないか。

www.nhk.or.jp

番組の後半で登場する吉田裕さんのインタビューがこちらに掲載されている。また15日までは「NHKプラス」で見逃し配信されている。

 

もう一つ印象に残ったのはこちら。

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地元住民と亡くなった米兵の遺族の双方を若いアメリカ人ジャーナリストが取材。撃墜を生き延びた飛行士が民間人によって殺されてしまう事例などもあったが、ここでは沖縄戦で息子を失ったばかりの市民が息子と同年輩の飛行士を捕らえ、自宅でイチゴをふるまった……といったエピソードが紹介される。もっとも憲兵隊に引き渡された生存者は一人も終戦の日を迎えられなかったのだが……。こちらは17日まで見逃し配信中。