「基地の街 女たちの声なき声

-NHK BS1 2023日2月19日放送 BS1スペシャル「基地の街 女たちの声なき声〜あるアメリカ人弁護士の闘い〜」

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アメリカの各州に存在している養育費の徴収制度を利用して沖縄のシングルマザーたちを(しばしば無償で)支援してきたアネット・キャラゲイン弁護士をとりあげた番組。嘉手納基地に軍法務官として勤務していた時にこの問題を知ったとのこと。

キャラゲイン弁護士の「闘い」の背景にあるのが(またしても)日本の行政の冷淡さ。アメリカの制度を利用して沖縄の女性を支援する方法があることを沖縄県に伝えたにもかかわらず、県はなにもしようとはしなかったという。“アメリカ人との間につくった子どもの支援をなぜ税金でやらねばならないのか”という理由で。シングルマザーを“罰するべき女”としてカテゴライズするこの社会の態度のみならず、米兵と交際する女性に対する偏見も加わっているのだろう。

 

2月26日の午後1時から再放送予定。

昨夏の番組から

年末年始に多くの番組を録画したせいでHDDレコーダーの空き容量がかなり減ってしまったので、「録画したけど観ていなかった番組」「観たけど円盤に焼いていなかった番組」を消化する作業をしたのですが、そうした番組からいくつかご紹介。

まず昨年8月3日放送の「昭和の選択 幻の航空機計画〜軍用機メーカー中島飛行機の戦争」。富嶽の開発を軸に中島飛行機の創業者中島知久平をとりあげたもの。番組が終わる直前にちょっと興味深いシーンがあった。

いわゆる“締め”のコメントが求められるタイミングで、ゲストの小谷賢が富嶽に関わった技術者たちについて「程度の差こそあれ、彼らも中島知久平と同じく戦後を見据えていたんだと思います。戦後、自分たちの技術でどういうふうに日本の復興に貢献するか、程度の差こそあれみんな漠然とそういうことを考えていたんだと思います」とコメント。ここでYS-11の開発にも関わったという元航空技術者の鳥養鶴雄氏が猛反発。

それほどゆとりなんてなかったと思います。ちょっといいですか? 私、そういうひとたちが上司だったわけです、戦後飛行機〔開発〕の世界に行った時に。中島飛行機の技術者だった方たちは、戦争中のことは、あとから来た我々、戦後派の我々に決して語ろうとは〔しなかった〕−−技術の基本ってことは話すんだけども。戦争でひとを殺したということを、敵も殺したけど味方も特攻機でみんな死んだ。(中略)もう飛行機は絶対にやらないと決めた方もいます。富嶽をやった方たちは絶対にそれを誇ることはない。(後略)

ありがちな落とし所へと向けた進行に真っ向から逆らう発言で、他の出演者はことごとく沈鬱な顔をしていました。

追加:なおこの番組の直前に同じチャンネルで放送されていたのが映画『メンフィス・ベル』でした。

もう一つは9月27日放送のNHK特集「アメリカは謝罪すべきか〜日系人強制収容の結末〜」です。アメリカ政府はとっくに謝罪しているのにいまさら「謝罪すべきか」とはなんなんだ? と思って録画したきり観ていなかったのですが、お気づきの方もおられるようにこれ「NHKスペシャル」じゃなくて「NHK特集」なんですね。1983年の番組を新たに放送したというわけです。

大統領によって設置された委員会の公聴会ではもちろん補償に反対する関係者もいました。番組で紹介されていたのは元陸軍次官ジョン・マッケロイです。「40年も前のことですよ それを今更−−」「では硫黄島で死んだ人たちの賠償はどうなんですか」……日本の右翼の言い草とそっくりなので納得するやら嘆息するやら。

最後に語学番組「中国語!ナビ」の第21回。中国語圏で活動している日本人を紹介するコーナーに、『南京!南京!』(ただし番組では「日中戦争を描いた作品」としか紹介されない)に出演した木幡竜氏が登場していました。この映画への出演をきっかけに中国語映画界でのチャンスを掴み、決して平坦な道のりではなかったものの昨年には主演作が日本公開されるまでになった……という内容です。

「ラジオ深夜便 戦争の記憶に耳を傾けて40年」

www.nippyo.co.jp

長年日本軍の捕虜になった経験を持つ連合国元将兵などへの聞き取りを続けてこられた岡山大学中尾知代さんが今年の7月にこれまでの研究の集大成となる書籍を刊行されています。

昨年の8月15日に NHK 総合の「目撃!にっぽん」枠で放送された「ずっと父が嫌いだった ~家族が向き合う戦争の傷痕~」はたいへん印象深い番組でした(現在、「目撃!にっぽん」の番組サイトからはこの放送についてのデータが削除されています)。

戦争体験が兵士本人だけではなくその家族にも深い影響をあたえたことがよくわかる内容になっていましたが、「元将兵の家族もトラウマ的な体験をしている」ことをかねてから指摘されてきたのが中尾さんです。

12月11日早朝の「ラジオ深夜便」で中尾さんのインタビューが放送されており、18日午前5時まで「聴き逃しサービス」で聴くことができます。

www.nhk.or.jp

こちらのページの一番下、「ラジオ深夜便▽明日へのことば 12月11日(日)午前4:05放送」です。

85年目の12月13日

南京事件に関して「12月13日」を焦点化することは、それ以前に農村地帯で行われていた虐殺を後景化してしまうおそれがありますが、象徴となる日付を選ぶとすればこの日であろうというのもたしかです。

7月7日や9月18日と同様、日本のマスメディアは「中国で式典」報道しかしませんが、それすら数が減ってきたように感じます。定量的に調べたわけではないのでただの印象ですが、今年は「12月8日」についてさえ再放送でお茶を濁しているのが目立つように思います。防衛費倍増そのものを問う声はほとんど紹介されず、ただただ財源だけが論点であるかのような報道姿勢と無関係ではないように思えてなりません。

「西松和解」についての長文記事

いわゆる「徴用工問題」においては被告である日本企業が和解に応じない姿勢を示した為抜き差しならない状態になってしまったわけですが、共同通信が11月25日付で西松建設と中国人強制連行被害者との和解に関する記事を配信しています。

nordot.app

日本企業と強制連行被害者との「和解」といえば、記事中でも言及されている「花岡和解」の問題性(当ブログでもこの記事で簡単にですが触れています)が思い浮かぶだけに、和解が成立した2009年当時私も懸念を表明していました。

apeman.hatenablog.com

apeman.hatenablog.com

今回の記事だけで最終的な評価を下すことはできないでしょうが、「花岡和解」の問題点を知る記者が書いている点は注目に値すると思います。

わからないなら教えてあげましょう

まず第一に、アメリカやイスラエル白燐弾を使ったときには「ただの照明弾!」だの「国際法違反じゃない!」だのと擁護するネトウヨが大勢現れた(このブログを「白燐弾」で検索すれば出てきます)のに対して、ロシアの焼夷兵器を擁護するやつはいない、ということ。そもそもこのブログだって、南京事件否定論者がいるからこそ始めたものですし。

そして第二に、アメリカやイスラエルの戦争には日本政府がなんらかの形で加担しているのに対し、ロシアの戦争には(制裁に及び腰なところが見られるにしても)加担していない、ということ。自国の政府が加担している問題を優先するのはありふれた選択でしょ。

2冊の『通州事件』

今年は通州事件と題する書籍が2冊(歴史修正主義者によるものを除いて)刊行されました。

-広中一成『増補改訂版 通州事件』、志学社、2022年7月

-笠原十九司通州事件 憎しみの連鎖を絶つ』、高文研、2022年9月

広中版『通州事件』は2016年に星海社新書として刊行されたものの増補改訂版です。新書版が本文3章とコラム2つからなっていたのに対し、増補改訂版は4章「通州事件被害者家族の戦後」が加えられ、コラムも2つ増えています。また「資料編」として遺族2名へのインタビュー、および『東京新聞』が遺族を取材した記事2本が収録されています。

両者の共通点として、(あたりまえでしょうが)近年歴史修正主義陣営が通州事件を反中国キャンペーンに利用している状況を強く意識していることがまずあります。笠原版のサブタイトル、また広中版の帯に記された「恨みを恨みで返すのは、もうやめようー」という謳い文句がそのことをよく示しています(もっとも、歴史修正主義者たちが本当に「恨み」という感情を動機として活動しているとは私には思えないのですが)。

またこうした問題意識ゆえなのでしょうが、両者とも事件で家族を失った遺族のうち存命中の方に聞き取りを行い、その結果を収録しています(広中版では新書から増補された部分の殆どがこれに当たります)。

特に興味深いのは、両者が共通して聞き取りを行っている遺族が一人いることです(櫛渕久子さん)。広中版が一問一答式でやりとりを収録しているのに対し、笠原版では聞き取りをもとに著者が遺族の戦後史を綴るという形式になっている点も含め、いずれきちんと比較してみたいと思っています。

 

さて次に両者の違いについて。第一の違いは、いずれも通州事件に至る背景を記述した後事件そのものの経過を記述するという構成でありながら、広中版では背景よりも事件の経過により多くのページ数が割かれているのに対して、笠原版では背景を記述した部分の方が圧倒的に長い、という点です。通州事件は一都市で起こり翌日には収束した、歴史的出来事としては空間的にも時間的にも大きなスケールのものではありませんから、事件の経過の記述にはさほど多くのページを必要としません。実際、広中版と笠原版で(文字組の違いがあるとはいえ)事件の経過を記述した章のページ数はほぼ同じです。したがって、両者の違いは笠原版の方が事件に至るまでの背景を遥かに重視している、と表現することができるでしょう。

他方、広中版に記述があって笠原版が触れていない(ないしほとんど触れていない)論点もあります。一つは事件が日本政府と冀東防共自治政府の間でどう「処理」されたかであり、もう一つは事件が当時日本でどのように報道されたか、です。こうした点に関心があるのなら、広中版を参照する必要があります。