「……とされる」の極限

もう先月のことになりますが、『毎日新聞』のウェブ版に面白そうな記事がありました。

mainichi.jp (アーカイブはこちら

熊本県宇城市の墓地に墓石に刻まれた文字の一部が削り取られた墓があり、日中戦争初期に戦没した兵士の墓らしい……。45年の敗戦時に流れたデマの一つに戦犯追及に関するものがあり、場所が熊本とくれば第6師団のことが思い浮かびます。

そこで毎日新聞のデータベースで本紙版を入手して読んでみました(『毎日新聞』西部本社版2023年2月15日、「慰霊碑:「上陸中国軍に報復される」 終戦時デマ、墓石の「戦」削る 地元教諭確認 退避命令、恐怖の末 熊本・宇城の公園」)。

記者が取材した専門家もやはり「陸軍第6師団の兵士らの墓である可能性」を指摘しています。

ところがこの記事には驚くような記述がありました。第6師団について「第6師団は37年に中国で南京攻略戦に加わったとされる」と説明されているのです(下線は引用者)。「日本軍が捕虜や民間人を多数殺害したとされる南京事件」のような腰の引けた表現はいまや日本のメディアの標準になってしまいましたが、南京攻略戦への参加についてまで「とされる」とされているのは始めて見ました。戦史等に記述がなく公文書も隠滅されていて確認できない、といった事柄じゃありません。どんな歴史修正主義者だって否定しない事実です。こんな調子ですから、「南京事件」の4文字も記事にはなく、第6師団の当時の師団長が責任を問われて戦犯裁判で死刑になったことについても記述はありません。本来なら、南京事件への関与を書いておかなければ(地元の高齢者は別として)この記事の意味は十分には伝わらないはずです。右翼への忖度もここまで来たのか、と暗澹たる気分になりました。

右翼の横やりで「お蔵入り」になっていた証言ビデオ、公開へ

www.tokyo-np.co.jp

アーカイブ

 東京都が1990年代に収集しながら大部分が非公開となっている東京大空襲など戦争体験者330人の証言ビデオについて、都は113人分を新たに公開することを決めた。21日夜の都議会代表質問で表明した。新たな公開は22年ぶり。都民の戦争体験を継承する取り組みが一歩、前進する。

注目すべきは、関東大震災時の朝鮮人虐殺を否認している歴史修正主義者の小池知事の下で公開が決まった、という点です。

都平和祈念館(仮称)計画が頓挫した理由はこの記事では曖昧にされていますが、日本の加害についても触れようとしたため右翼都議が潰したというのが実態です。本日文春オンラインで公開されたコラムにその事情がかんたんながら書かれています。

 センター〔東京大空襲・戦災資料センター〕のルーツは、空襲体験者であり、空襲を描き続けた作家・早乙女勝元らが1970年に結成した「東京空襲を記録する会」。会はかねてから東京都に対して、空襲祈念施設の建設を要望していた。それを受け、都営の平和祈念館設立計画が立ち上がったのだが、問題が起こる。計画には、現在のセンター同様に、近隣国への加害についても展示内容に盛り込もうとしていた(会としては「東京空襲を中心とする平和博物館」を、というニュアンスだった)。

空襲体験証言の公開そのものは歓迎すべきことですが、「被害は語り、加害は語らず」という戦後日本の悪しき姿勢の現れであることも心に留めておきたいところです。

 

 

「基地の街 女たちの声なき声

-NHK BS1 2023日2月19日放送 BS1スペシャル「基地の街 女たちの声なき声〜あるアメリカ人弁護士の闘い〜」

www.nhk.jp

アメリカの各州に存在している養育費の徴収制度を利用して沖縄のシングルマザーたちを(しばしば無償で)支援してきたアネット・キャラゲイン弁護士をとりあげた番組。嘉手納基地に軍法務官として勤務していた時にこの問題を知ったとのこと。

キャラゲイン弁護士の「闘い」の背景にあるのが(またしても)日本の行政の冷淡さ。アメリカの制度を利用して沖縄の女性を支援する方法があることを沖縄県に伝えたにもかかわらず、県はなにもしようとはしなかったという。“アメリカ人との間につくった子どもの支援をなぜ税金でやらねばならないのか”という理由で。シングルマザーを“罰するべき女”としてカテゴライズするこの社会の態度のみならず、米兵と交際する女性に対する偏見も加わっているのだろう。

 

2月26日の午後1時から再放送予定。

昨夏の番組から

年末年始に多くの番組を録画したせいでHDDレコーダーの空き容量がかなり減ってしまったので、「録画したけど観ていなかった番組」「観たけど円盤に焼いていなかった番組」を消化する作業をしたのですが、そうした番組からいくつかご紹介。

まず昨年8月3日放送の「昭和の選択 幻の航空機計画〜軍用機メーカー中島飛行機の戦争」。富嶽の開発を軸に中島飛行機の創業者中島知久平をとりあげたもの。番組が終わる直前にちょっと興味深いシーンがあった。

いわゆる“締め”のコメントが求められるタイミングで、ゲストの小谷賢が富嶽に関わった技術者たちについて「程度の差こそあれ、彼らも中島知久平と同じく戦後を見据えていたんだと思います。戦後、自分たちの技術でどういうふうに日本の復興に貢献するか、程度の差こそあれみんな漠然とそういうことを考えていたんだと思います」とコメント。ここでYS-11の開発にも関わったという元航空技術者の鳥養鶴雄氏が猛反発。

それほどゆとりなんてなかったと思います。ちょっといいですか? 私、そういうひとたちが上司だったわけです、戦後飛行機〔開発〕の世界に行った時に。中島飛行機の技術者だった方たちは、戦争中のことは、あとから来た我々、戦後派の我々に決して語ろうとは〔しなかった〕−−技術の基本ってことは話すんだけども。戦争でひとを殺したということを、敵も殺したけど味方も特攻機でみんな死んだ。(中略)もう飛行機は絶対にやらないと決めた方もいます。富嶽をやった方たちは絶対にそれを誇ることはない。(後略)

ありがちな落とし所へと向けた進行に真っ向から逆らう発言で、他の出演者はことごとく沈鬱な顔をしていました。

追加:なおこの番組の直前に同じチャンネルで放送されていたのが映画『メンフィス・ベル』でした。

もう一つは9月27日放送のNHK特集「アメリカは謝罪すべきか〜日系人強制収容の結末〜」です。アメリカ政府はとっくに謝罪しているのにいまさら「謝罪すべきか」とはなんなんだ? と思って録画したきり観ていなかったのですが、お気づきの方もおられるようにこれ「NHKスペシャル」じゃなくて「NHK特集」なんですね。1983年の番組を新たに放送したというわけです。

大統領によって設置された委員会の公聴会ではもちろん補償に反対する関係者もいました。番組で紹介されていたのは元陸軍次官ジョン・マッケロイです。「40年も前のことですよ それを今更−−」「では硫黄島で死んだ人たちの賠償はどうなんですか」……日本の右翼の言い草とそっくりなので納得するやら嘆息するやら。

最後に語学番組「中国語!ナビ」の第21回。中国語圏で活動している日本人を紹介するコーナーに、『南京!南京!』(ただし番組では「日中戦争を描いた作品」としか紹介されない)に出演した木幡竜氏が登場していました。この映画への出演をきっかけに中国語映画界でのチャンスを掴み、決して平坦な道のりではなかったものの昨年には主演作が日本公開されるまでになった……という内容です。

「ラジオ深夜便 戦争の記憶に耳を傾けて40年」

www.nippyo.co.jp

長年日本軍の捕虜になった経験を持つ連合国元将兵などへの聞き取りを続けてこられた岡山大学中尾知代さんが今年の7月にこれまでの研究の集大成となる書籍を刊行されています。

昨年の8月15日に NHK 総合の「目撃!にっぽん」枠で放送された「ずっと父が嫌いだった ~家族が向き合う戦争の傷痕~」はたいへん印象深い番組でした(現在、「目撃!にっぽん」の番組サイトからはこの放送についてのデータが削除されています)。

戦争体験が兵士本人だけではなくその家族にも深い影響をあたえたことがよくわかる内容になっていましたが、「元将兵の家族もトラウマ的な体験をしている」ことをかねてから指摘されてきたのが中尾さんです。

12月11日早朝の「ラジオ深夜便」で中尾さんのインタビューが放送されており、18日午前5時まで「聴き逃しサービス」で聴くことができます。

www.nhk.or.jp

こちらのページの一番下、「ラジオ深夜便▽明日へのことば 12月11日(日)午前4:05放送」です。

85年目の12月13日

南京事件に関して「12月13日」を焦点化することは、それ以前に農村地帯で行われていた虐殺を後景化してしまうおそれがありますが、象徴となる日付を選ぶとすればこの日であろうというのもたしかです。

7月7日や9月18日と同様、日本のマスメディアは「中国で式典」報道しかしませんが、それすら数が減ってきたように感じます。定量的に調べたわけではないのでただの印象ですが、今年は「12月8日」についてさえ再放送でお茶を濁しているのが目立つように思います。防衛費倍増そのものを問う声はほとんど紹介されず、ただただ財源だけが論点であるかのような報道姿勢と無関係ではないように思えてなりません。

「西松和解」についての長文記事

いわゆる「徴用工問題」においては被告である日本企業が和解に応じない姿勢を示した為抜き差しならない状態になってしまったわけですが、共同通信が11月25日付で西松建設と中国人強制連行被害者との和解に関する記事を配信しています。

nordot.app

日本企業と強制連行被害者との「和解」といえば、記事中でも言及されている「花岡和解」の問題性(当ブログでもこの記事で簡単にですが触れています)が思い浮かぶだけに、和解が成立した2009年当時私も懸念を表明していました。

apeman.hatenablog.com

apeman.hatenablog.com

今回の記事だけで最終的な評価を下すことはできないでしょうが、「花岡和解」の問題点を知る記者が書いている点は注目に値すると思います。