三・一独立運動から100年

間もなくやってくる3月1日は三・一独立運動(の始まり)から100年の日に当たります。ただでさえ「徴用工」判決で植民地支配の歴史が問われているときです。ほんとうであればメディアが積極的にとりあげなければならないはずですが、いまのメディア状況では絶望的でしょう。実は「三・一」に先立つ2月8日には、当時日本に留学していた学生たちが独立宣言を出していますが、主要メディアはほぼ黙殺していました(韓国紙の日本語版記事を転載した Yahoo! ニュースが東京でのシンポジウムを伝えた程度)。時事通信が配信した短い記事は韓国大統領のコメントを報じたもので、7月7日や9月18日と同じ方式です。3月1日についても各紙の報道状況をチェックしたいと思っています。

韓国で被爆者手帳交付

-共同通信 2019年1月27日 「長崎市、韓国で被爆者手帳を交付」 http://archive.fo/GKlR4

去る8日の長崎地裁の判決に基づき、韓国人被爆者に対して長崎市が韓国で被爆者健康手帳を交付した、というニュースです。最初から交付すべきだったとは思うものの、控訴しなかったのは高齢の当事者のためにはよかったと言えます。

今回の訴訟の前提の一つをなしているのが、2008年に成立した改正被爆者援護法です。孫振斗裁判での日本政府の敗訴(1974年)をうけて韓国人被爆者への援護がようやく始まりますが、厚生省(当時)は被爆者手帳が国内でのみ有効であるとする通達を出し、韓国在住の韓国人被爆者への援護をネグってきました。2008年の法改正でようやく海外から被爆者手帳の交付を申請できるようになったわけです。

ところで韓国人被爆者の裁判闘争は、戦後補償裁判のなかでも原告勝利の判決がたびたび下されて確定しているという点で異彩を放っています。私は各訴訟について詳しく判決文を検討したわけではありませんが、原爆による被害の場合特別な立法による救済が行われてきたことがどうもその背景にあるようです。

例えば2008年の法改正に先立ち、海外在住の被爆者にも被爆者援護法上の「被爆者」の地位を認めた判決郭貴勲裁判)が2001年に下っていますが、その確定判決(大阪高裁)は次のように判断しています(郭貴勲裁判 高裁判決全文)。

(……)被爆者援護法の複合的な性格、とりわけ、同法が被爆者が被った特殊の被害にかんがみ、一定の要件を満たせば、「被爆者」の国籍も資力も問うことなく一律に援護を講じるという人道的目的の立法であることにも照らすならば、その社会保障的性質のゆえをもって、わが国に居住も現在もしていない者への適用を当然に排除するという解釈を導くことは困難である。

被爆者援護法があるがゆえに国家無答責、除斥期間、日韓請求権協定等々、戦後補償裁判で原告の請求を阻んできた論点での争いにならず、裁判所としても原告勝利の判決を書きやすかったのではないか、と。

 

 

海自に甘かった戦後日本社会

あたりまえのことですが、問題の本質は「旭日旗」によって旧日本海軍との連続性を誇示してきた海上自衛隊の体質にあります。護衛艦の艦名がしばしば旧軍艦艇を踏襲しているのも同じ体質の現れです。
どちらも、決して今回はじめて明らかになったことではありません。護衛艦命名法や旭日旗の使用について問題視する声がなかったわけではありませんが、ことの重大さに見合ったものとは言いがたかったように思います。
一つには、9条2項の厳格な運用を求める立場からすれば自衛隊の存在自体が問題なのであり、旧軍との連続性云々は二次的な問題に過ぎない、という発想があったのかもしれません。しかしもう一つ、いわゆる「海軍善玉史観」の影響も否定出来ないように思います。しかし実証研究の進展や当事者たちの証言により海軍の責任が再考されている現在、戦後の日本がなんとなく海自に甘かったのではないか? ということも検証されねばならないかもしれません。

朝日新聞「節目の9月18日」の報道

今年の9月18日も日本のマスコミは中国の記念式典を取り上げる記事ばかりでした。朝日新聞も「高官出席せず、対日関係重視か 中国で柳条湖事件の式典」という見出しだけで読むに値しないことがわかってしまいます。
さて、『朝日新聞』が「自虐」的な報道を繰り返してきたのかどうか、節目の年の9月18日、19日の記事を調べてみました。検索語は「満洲事変or満州事変or柳条湖事件」です。
・2016年
2016年09月19日 朝刊 「柳条湖事件85年、厳戒態勢で式典」
これだけです。


・2011年
2011年09月18日 朝刊 山梨全県 「日中関係、直視する機会に きょう満州事変80年 秋に企画展開催 甲府 /山梨県
2011年09月19日 朝刊 青森全県 「溥儀の忠臣に新たな光 板柳町出身・工藤忠の資料館開設や書籍発刊 /青森県
2011年09月19日 朝刊 北九 「撮影の戦跡紹介、保存訴える講演 写真家・安島さん /福岡県」
2011年09月19日 朝刊 「中国式典、反日封じる 日の丸燃やす若者も 柳条湖事件80年」
地方版の記事3つを除けば、やはり中国側の反応を伝える記事だけです。


・2001年
2001年09月18日 朝刊 北海道1 「中国侵略巡りきょう勉強会 札幌郷土を掘る会など主催 /北海道」
2001年09月18日 夕刊 忘れるなかれ(窓・論説委員室から)
2001年09月19日 朝刊 「忘れない、満州事変 中国各地で70周年行事」
2001年09月19日 朝刊 北海道1 「まちかど212 /北海道」
かろうじて18日の夕刊に「忘れるなかれ」と題するコラムが載ってますが、翌日の朝刊全国版の記事はまたしても中国側の動きについてのもの。


・1991年
1991年09月18日 夕刊 「ラジオ臨時ニュース第1号 プロイセン軍、パリ包囲を開始(あすは)」
1991年09月19日 朝刊 「満州事変60周年 中国・瀋陽で国際討論会」
18日夕刊のは記事とも言えませんから、この年も中国で開かれた討論会を伝えただけです。


・1981年
1981年9月18日 朝刊 「軍国主義的動き警戒 満州事変50周年で文化人らアピール_戦争関係」
ここからは全文検索ではないことに注意する必要がありますが、50年目の節目の年にこれだけです。


・1971年
1971年9月18日 朝刊 「「“満州事変”のころ生れた人の会」の 無着成恭_ひと」
1971年9月18日 朝刊 「天声人語
1971年9月19日 朝刊 「「日米」冷却を重視 日中好転の可能性示唆 満州事変40周年で人民日報」
国交回復前ですが、コラム2本を除くとやはり中国の反応を伝える記事だけ、というありさま。


・1961年、1956年、51年はキーワード検索でヒットする記事はすべてゼロ、です。


もちろん「○○周年」という節目とは無関係に執筆/掲載された記事は他にあるわけですが、右翼が言うように『朝日新聞』が「自虐」キャンペーンなど行っていたのであれば上記の日付はいずれもそういう記事で溢れているはずです。しかし実態はこれ。右翼は『朝日』のどこに文句があるのでしょうか?
なお、7月7日についての同様な簡易調査の結果はこちらです。

「ビンの中のお父さん」

なんとも挑戦的なタイトルですが、ABCC(原爆傷害調査委員会)の調査対象にさせられた被爆者やその遺族に取材した番組です。ABCCの問題点についてはこれまでも指摘されてはいましたが、研究倫理上の大きな瑕疵とそれによる人権侵害を改めて認識させられました。

「外国籍元BC級戦犯・不条理の記録」

 写真パネル展「外国籍元BC級戦犯・不条理の記録」が30日、東京都の千代田区立九段生涯学習館2階「九段ギャラリー」で始まった。連合国軍の軍事裁判でBC級戦犯として裁かれた朝鮮半島出身の元軍属らの名誉回復を求める運動の記録や、彼らを支えた日本人僧侶や医師の写真や手紙などが展示されている。11月5日まで。
(後略)

「外国籍」とありますが、彼らは軍属として動員されたときも、戦犯裁判で有罪となったときも、死刑になったときも、服役を始めたときも「日本人」でした。「外国籍」(あるいは「無国籍」)となったのはサンフランシスコ講和条約の発効と入れ違いに、です。

86年後の9月18日

満洲事変勃発から86年となる今日、グーグルニュースで検索して“満洲事変にちなんだ記事”と言えそうなものは次のとおりでした。

東洋経済ONLINEのは民主党政権時代に中国大使を務めた丹羽宇一郎氏の寄稿です。日付は前日となっていますが、社説で満洲事変を主題とした中日新聞が他メディアにない姿勢を見せたと言ってよいでしょう。