南京事件否定派の考えてる「証拠」って…

うわっ、まだ続いてた、とちょっとびっくり。


しかしこの種の、明らかに秦郁彦の『南京事件』さえ読んでなさそうな否定論ビリーバーの方たちの書くことを読んでいると、なんか「もしある歴史的出来事が真実なら、どっかにそれを証明する一通の書類があるはずだ」とでも考えてるんじゃないか、と思えてくる。もちろん、「…以上、皇軍による民間人、捕虜等の殺害は計30万人に達した。松井石根 印」みたいな書類があるわけはない。南京占領から敗戦まで、日本軍には証拠を隠滅する時間がたっぷりあったし、敗戦にあたっては組織的に文書を焼却した。極東軍事裁判での事実認定は、判決の根拠となればそれで十分という性格のものだから、埋葬記録などに基づくかなりおおざっぱな犠牲者数算定を行なっているのはたしかであろう。しかし残された断片的な資料から事件の全体像をつかもうと努力を続けているのが歴史学者なのである。せめて秦郁彦の『南京事件』でよいから一読して、研究者がどのような方法で事件の全体像に迫ろうとしているのか、その方法論を知ってもらいたいものである。


追記:コメント欄へのご投稿を受けて。
要するに、自分の主張がどのような場合に反証されるのかについて、具体的な考えをもち得ていないのが歴史修正主義疑似科学の共通点なのでは、というはなし。人間には「確証バイアス」といって、自分の主張を裏付ける証拠は熱心に捜すが、反証となる証拠は探そうとしない傾向があることを心理学は明らかにしているが、この共通点と関連していそうである。もちろん、一人の人間としての研究者は確証バイアスを免れないわけだが、学問的な手続きには確証バイアスを補正するための知恵がつまっているわけである。
ちなみに、「南京事件はあった」「笹レポートの英訳は正確だった」という私の主張を反証する条件はいつでも示す用意があるので(というか、どちらもすでに示しているので)、チャレンジャー募集中です。南京事件があったという主張を反証する方法についてはこのエントリをご参照ください。


再追記。こちらもご覧下さい。
いや〜すごいね。ここのコメント欄、2006年06月23日 20:30 の野良猫氏のコメント。またあの引用を繰り返さないといけませんね。


いきなり
青狐グループの方々
ですよ。なんとかして「相手は党派的、自分は違う」って印象づけたいみたいだけど。自分は嬉々として lovelovedog 氏のところに登場したりするのは棚上げ。
南京事件」と「東京大空襲・広島原爆」の最大の違いは、政治性の有無でしょう。日本側がこれらを題材に「共通する歴史認識」を他国に求めた事はないし、水増しなどをする理由もない。なぜなら、日本側には抗日記念館のように他国への憎しみを煽る必要なども無いからだ。ここが最大の違いでもある。
他国への憎しみを煽ってる人間なんてネットみればいくらでもサンプルが見つかるでしょうが。自分自身が中国への「憎しみを煽」ってることについても棚上げ。原爆に関してアメリカの認識にクレームつけている日本人はいっぱいいます。勝手になかったことにしないでもらいたい。
 だから「中国側のカウントがいい加減でも日本側だって不自然だ」と暗に語る形での中国擁護論にあまり意味はない。……というより、あなた方の好きな国の基準でものを語らないでほしい。
(強調引用者)
本気なのか、意識したプロパガンダなのかよくわからないのだが、たぶん前者なのだろう。すべてを「親日か親中か」という馬鹿げた二分法でしか語ることのできない悲惨なひとだ。「親日か親中か」という二分法自体が極めて政治的なものであるのに、それを用いる自分は非政治的だと思っている滑稽さ。もし「南京事件はあったと主張する人間は、その主張ゆえに、中国が好きなのだと認定される」のだとすれば、南京事件否定論者は「中国が嫌い」なのだということになる。どうなんです、野良猫さん? あなたは中国が嫌いなのですか? それとも「好き嫌いとは関係ない」とおっしゃいますか? もし前者ならあなたの否定論もポジショントークだということになるし、もし後者なら「別に中国が好きではなくても、南京事件の存在を認めることはできる」と承認してもらわねばなりませんな。
「肯定派」の人は議論の目的を明らかにするべきだ。異論を持つ人間に持論を理解して欲しいのか。あるいは、政治ネタのからんだユーモアを語るべきではないと言いたいのか。
「否定派」の人は議論の目的を明らかにするべきだ。異論をもつ人間に持論を理解して欲しいのか、あるいは、自分の喉をなでなでしてゴロニャンと鳴きたいだけなのか。
 議論は結論へと進まなくてはならないのだから、そろそろ基本的なポジションについて語ってもらいたい。
 まず「肯定派」の人間は、どの知識人を最も信頼して持論のベースとしているのか。そこを述べるべきだ。それだけ語れるなら「大虐殺派」か「中間派」くらいの区別はつくはず。ちゃんと「議論」をしたいのなら、むしろ進んで説明するべきことなのだ。

これってもう耳にタコができるほど聞かされてるんだけど、なぜ誰にもまともに相手にされないか、わかってないのかな? 「藤原彰笠原十九司、吉田裕…のうち私は○○の主張にコミットします」って表明することになんの意味があるわけ? 時間的にも空間的にも規模が大きい南京事件に関して、現存する歴史家のうちの誰かが全面的に正しい、なんてことはあるわけがない。まして「南京事件はあったのか、捏造なのか」といった水準の議論をする際に誰か一人の主張にコミットしなければならない理由などこれっぽっちもない。虐殺があったことは前提として、では事件の地理的範囲と時間的範囲をどのように捉えるのが妥当なのか、これこれの殺害類型は不当なのかそうでないのか、犠牲者数はどれくらいなのか…といった各論に入って初めて、誰の主張を支持するかが問題になるにすぎない*1。ちなみに日本政府の(最新の)基本的なポジションはこうですな。
野良猫氏は「青狐グループ」が否定論の主張に反論するだけだ、と言いたいらしいが、それを言うなら否定論は「あった」論の主張にケチをつけてるだけということになる。断続平衡説を支持するか支持しないかをはっきりさせなければ、インテリジェント・デザイン説に反論してはならない…というくらいナンセンスなはなし*2 。そんな暇があったら、南京市民や捕虜たちが38年3月の時点(←とりあえず暫定的な日付)で生存していたことを証明したり、便衣兵の処刑が適正な手続きで行なわれたという証拠を探して提示したらどうなのか。ちゃんと「議論」をしたいのなら、むしろ進んで説明するべきことなのだ。


 ……もし何らかの理由で答えない場合は、全面敗北宣言をしたものと解釈する。議論の入り口はここにあり、門をくぐろうとしない人間に付き合うほど他人は暇でもない(いや、そういうのが大好きという人も居そうですが)。
ふふっ。えらい勢いですなぁ。じゃあこちらからも質問をば。「南京事件マボロシ説」の破綻を主張するのに、なぜ藤原彰笠原十九司秦郁彦…らのうち誰か一人の主張にコミットしなければならないのか、きっちり説明してください。もしこれに答えられないのなら、全面敗北宣言をしたものと解釈する。

(初出はこちら

*1:中村粲ですら「マボロシ」説を批判しているわけで(http://www.jca.apc.org/nmnankin/news6-12.html#14 参照)、否定論を論駁するのに「あった」説の間の違いなど問題とはならない。

*2:つくる会」の新会長は統一協会(のダミー団体)の集会に来賓として出席した人物だから、今度は「新しい理科教科書」をつくるのかもね。野良猫氏はここで ID批判にも噛みついていたから、ひょっとして ID支持者?