『戦史叢書』と映画『東京裁判』における南京事件

防衛庁防衛研修所戦史室の編纂になる『戦史叢書』の一巻、『支那事変 陸軍作戦<1> 昭和十三年一月まで』(朝雲新聞社)を古書店で入手した。この手の本は借りるものにして買うものにあらず…というのが相場である。なんせ全部で102巻だから。しかし函無しのものが安くでていたので買ってみることにした。昭和50年、1975年の刊行である。


「序」に「終戦時、大量の史料の消滅と散逸を来たし」云々という一節がある。敗戦時に多くの文書が焼却されたことは、多少なりとも近現代史に関心を持つ人間にとっては常識だと思っていたので、ここでその常識が通じなかったときには思わず絶句してしまった。実際にどうだったかと言えば、防衛庁の人間ですら認めるほどの明白な事実であるわけである。


さて、この巻はまさに南京事件の起きた時期の中国における日本軍の軍事行動を扱っているのだが、南京攻略戦を扱った416〜438頁の本文中、戦史の本来の記述中では南京事件はまったく言及されていない! 「中国側史料」として「(…)南京はついに十三日陥落し、敵は無辜の市民十余万を虐殺した」という記述*1こそあるものの、「外交問題となった諸事件」としてパネー(パナイ)号事件及びレディバード号事件については言及があるのと比べるといかにも不当な扱いである。436頁以降に「南京事件について」と題する注がついているが、これがまたぎりぎり「デマ」「嘘」にならない範囲での日本軍擁護論に終始している。


・「遺憾ながら同攻略戦において略奪、婦女暴行、放火等の事犯がひん発」したことは認める。
南京事件が問題にされたのは戦後の戦犯裁判においてであることを強調。「南京の裁判では処刑そのものを必要とする政略的理由から、約三〇万の軍民が虐殺されたとして…」。
・「しかし、その証拠を些細に検討すると、これらの数字は全く信じられない」と主張。
・中国軍の清野作戦の被害を強調。
・「戦闘行動による中国軍の損害」が多かったことは認める。
・敗残兵掃蕩戦において非戦闘員が巻き添えになったことは認めるが、「ただし非武装住民であっても、軍に協力し、あるいは遊撃戦に関与して対敵行動をとったものは戦闘員と見なさざるをえない」と定番のいいわけ。しかし非戦闘員が「軍に協力」「遊撃戦に関与」したとする根拠はまったく示されない。
・捕虜の殺害についても諸々のいいわけ。曰く「日本軍の攻撃部隊は、中国軍側に比べ兵力が僅少」「真に中国兵が戦意を喪失しているのかどうかの判別が困難」「日本兵の恐怖心や敵愾心が強く」等々。しかし中支那方面軍は南京攻略と並行して杭州攻略を行なう余裕をもっていたわけだし、そもそも南京攻略を中央に進言した根拠の一つが「今や敵の抵抗は各陣地共極めて微弱にして飽く迄南京を確保せんとする意図を認め難し」というものだったわけだし、「恐怖心や敵愾心」については上官が部下を掌握できていなかったということを示しているにすぎない。
・幕府山での捕虜虐殺の犠牲者は約千名とする。


捕虜や非戦闘員の不法な殺害があったことは明確に認めているだけましと言えるのかもしれないが、自衛隊が国内的にも対外的にも信頼される武装組織となるためには旧日本軍の戦争犯罪に対して凛とした姿勢を示すことが必要ではないだろうか。


8月15日が近づいたということでテレビでも十五年戦争関係の番組、特集が目立つが、「ヒストリーチャンネル・ジャパン」で『東京裁判*2を放映していたので録画しておいた。なにぶん4時間を超える長さなのでまだ観終わっていないのだが、南京事件の審理プロセスは開始後2時間10数分からの約3分間扱われている。松井石根の入場式風景、マギー牧師の証言、映画『中国の怒吼』よりとして中国側の告発フィルムなどのフッテージが利用され、管轄権が疑われた「平和に対する罪」とちがって「異論の余地のない戦争犯罪」であったことがナレーションで語られる。他方、検察側の「犠牲者26万〜30万」という主張については数字に「極端な」誇張があり、証言にも疑わしいものがあったとコメントしている。ただ、事件が松井大将の意に反して起こった偶発事ではなく日本軍の体質に根ざすものだとしている点は『戦史叢書』の記述に比べて公平かつ的確だと言えよう。

*1:『抗戦簡史』、1952年、中華民国国防部史政処編、からの引用。

*2:監督:小林正樹、1983年、日本。