理解に苦しむのは…

なぜ北村氏がこのような本を書いたのか、である。氏は規模はともかくとして南京において不法な殺害、略奪、強姦があったことは否定していないし、幕府山の捕虜殺害をはじめとして具体的な証言のある個別事例についても否定する態度をとっていない。また、「エピローグ」には次のような記述もある。

三十万人などという膨大な死者が日本軍占領下の南京に出現しなかったにせよ、日露戦争後の日本の満州進出にはじまる確執の結果として日中戦争が勃発し、中国の大地がその戦場であった。多くの破壊と殺戮が行われ、その集中的表現として、上海から南京にいたる戦闘で発生した被害が存在する。これらの物的被害と人的被害に対し中国の民衆が怒りと悲しみを感じ、日本に恨みを抱くのは当然である。

周到に「侵略」という表現を避けているあたり、政府の声明みたいではあるが、それでも「満州」に言及することで日本側の責任を暗示し、「中国の大地」が戦場であったことにもきちんと触れているのである。なにがなんでも日本(軍)が中国に与えた被害を否定しようとしているわけではない、ということは認めてよい。
しかし、単に「犠牲者30万人説」の信憑性に疑問があるといいたいだけなら、日本国内の「虐殺派」の研究を援用しても足りるのである。氏の主張が新発見に基づく説得力の高いものだ…というのならともかく、はっきりいって最良の部分でも「まあそういう可能性もあるね」と言い得るにすぎず、相当の説得性を持って論証されている主張はほとんどない、といってよい。詳しくはタラリさんの反駁をごらんいただきたいが、とにかく根拠のない憶測が多すぎるのである。タラリさんに丸投げするのも無責任なのでいくつか示しておこう。
例えば北村氏は、国際安全区を運営した第三国人たちがクリスマスを祝った、ということをもって「大虐殺と矛盾する」という(87ページ)。しかし極東軍事裁判での認定による南京大虐殺は、ほぼ山手線の線路に囲まれた空間に匹敵する南京城内、およびその周辺で発生したとされているのである。クリスマスといえば入城式が終わってから1週間、南京陥落からは2週間近く経過しており、一回の殺害で多数の犠牲者が出るような事例のピークは過ぎていた。まして彼ら第三国人日本兵による殺害のターゲットにはされていなかったのだ。そのような状況で、キリスト教徒にとって最も重要な祝日をささやかに祝おうとしたことがなにか奇異なことであろうか? 空襲に晒された日本の都市では人々は正月を祝おうとすらしなかったのであろうか? むしろ困難な日々のなかでこそ、せめてクリスマスは(正月は)祝いたい、と考えるのが人間というものではないだろうか? 
主張の核にはたしかに事実もあるのだが、そこから憶測に憶測を(しかもご都合主義的に)重ねるから全体として無理が生じる。週刊誌の与太記事ならともかく、大学教員の地位を持ちながらこれほどまでに憶測の多い主張を本にしてしまった「動機」と、上の引用箇所での氏の戦争認識とがどうにも噛み合わないように思えてしかたがない。


 後は落穂ひろい的に。北村氏もまた「百人斬り」の両少尉は東京日日新聞の記事だけを証拠に有罪判決を受けた、という説を採っている(42ページ)。しかも「C級戦犯」として死刑になった、と(同)。一体なにを根拠にしているのだろうか? 前者は特によく見かける主張なのだが…。
 また洞富雄編の『英文資料集』の翻訳に関する批判は、なるほどと思わせるところもある反面、首を傾げたくなるところもある。例えば121ページで議論されている問題。原文は
This is not the place to discuss the dictum of international law that the lives of prisoners are to be preserved except under serious military necessity, nor the Japanese setting aside of that law for frankly stated vengeance upon persons accused of having killed in battle comrades of the troops now occupying Nankin.
であり、この下線部を『英文資料集』と北村氏はそれぞれ次のように訳している。
日本軍もまた、国際法などは眼中になく、いま南京を占領している部隊の戦友を殺したと告発する人間に対しては復讐をすると公然と言明したのである。(『英文資料集』の訳。なお北村氏の引用では「告発」の前に「(自分たちが)」が補われている)
日本軍が戦友を殺したと(自分たちが)告発する人間に対して公然たる復讐を宣言し国際法を無視しているか否かを論じる場所でもない。(北村氏の訳 )
たしかに『英文資料集』の訳文はいい訳とはいいがたいが、問題は to discuss (...) the Japanese setting aside of that law の部分の訳である。ここは素直に読めば「日本軍が国際法を無視していることについて論じる」であって、「日本軍が国際法を無視しているか否かを論じる」ではないだろう。つまり、書き手は国際法違反があることを前提とし、ただここではそれについて論じるのが目的ではない、と但し書きを加えていると考えるべきである。

またなにか気づいたら加筆するかもしれません。