笠原十九司、『日中全面戦争と海軍 パナイ号事件の真相』、青木書店

右派左派をとわず一定の認知を得ているのが「陸軍悪玉、海軍善玉」史観であって、これは東京裁判におけるA級戦犯に占める陸軍軍人の比率を考えれば直ちに了解できるように、実は「東京裁判史観」でもある。これに対しては旧陸軍関係者の中にも腹に据えかねる想いをしておられた方がいるようだが、左派の現代史研究者もとっくにそういう素朴な「陸軍悪玉」史観は乗り越えている…ということを示す一冊。
南京事件に関しては従来「南京攻略戦は上海派遣軍・第十軍の独走」とか「広田外相の不作為」といったことが強調されてきたわけだが、そもそも第二次上海事変で最初に中国軍と戦ったのは海軍の陸戦隊であったし、「南京爆撃」を行なったのも海軍の航空隊であった。第3艦隊(の一部)は揚子江を遡上して南京での掃討戦に参加してもいるのである。本書は日中戦争の拡大〜日米戦争というプロセスにおいて海軍が果たした役割、そしてそれを象徴する事件としての「パナイ号事件」に焦点を当てた研究成果である。そのため、日本の戦争責任を決して否認しない人々の間でもしばしば肯定的に評価されている米内海相(当時)と広田外相(当時)についてかなり厳しい評価が下されている。政治信条をとわず、通俗的日中戦争理解を大いに揺さぶること請け合いの一冊。


本書のポイントの一つは、海軍がむしろ陸軍に先立って対中戦争の拡大を計画していたという主張(第II章)である。たしかに上海・南京方面で戦線を拡大することは「南進論」につながり海軍の利権拡大につながるし、海軍航空隊の戦果も海軍内の航空戦力重視派にとって追い風となった。本書で描かれるのは、日中全面戦争にためらいをもつ陸軍参謀本部を尻目に海軍軍令部、出先の陸軍部隊が功を焦り、すっかりやる気を失った政府首脳がそれを追認する…という構図である(もちろん、細部に目を凝らせばもっと複雑ではあるが)。ちょっと衝撃的であったのは、1937年12月後半の時点で、陸軍参謀本部(および海軍軍令部)が長期戦への懸念からトラウトマン和平工作に期待をかけていたのに対し、近衛首相と広田外相がむしろ率先して和平交渉打ち切りを主張した、という本書の主張である。近衛首相のパラノイア(例えば100頁)と無責任さはかなり深刻であったといわざるを得ない。


第二のポイントは、当時の日本政府がほとんど当事者能力を失っていると言うべきほどに混乱状態にあった、ということである。上海派遣軍・第十軍の独走もその一例であるが、首相が海相に了解を取ったうえで試みた民間外交を憲兵や外務官僚が妨害するといったデタラメがまかり通っている。とにかく、現場のやることを中央がまったく統制できていない。


第三のポイントは、陸海軍も日本政府も国際感覚、すなわち自分のふるまいが相手国、及び第三国にどのように認知されるかについての理解を欠いていたという事実である。南京攻略戦に関して日本政府が発表した声明(「暴支膺懲」声明が代表的だが)の独りよがりぶりもさることながら、パナイ号事件はまさにこの事実を象徴している。笠原氏が相当の説得力をもって主張しているのは、海軍航空隊がパナイ号および同伴していた商船を「アメリカ船」と認識しながら、「中国兵を載せている」と「誤認」して爆撃した、ということである。だがアメリカ側はこの「誤爆」という説明に決して納得していなかった。参戦を厭う国内世論に配慮してか、日本側の謝罪・賠償の申し出でとりあえず矛を収めることにしたものの、「日本軍が米国籍艦艇を意図的に爆撃した」という見方は変えなかったのである。本書の表紙には "Remember the PANAY!" と書かれた日本製品ボイコットを訴えるビラの写真が用いられているが、 "Remember the PANAY!" というフレーズでピンと来る日本人は少数派である、というのが実情であろう(かくいう私も、パナイ号事件を知ったのは比較的最近のことである)。しかし実際には、南京大虐殺の報道と相俟って、パナイ号事件はアメリカの対日世論を悪化させ、日本製品ボイコット運動を引き起こすことになる。笠原氏が引用しているある「ボイコット呼びかけ」文書によれば、当時「日本の米国への輸出の5割5分ないし6割」は絹であった(って、モロに農業国ですわな)。しかもアメリカは日本が輸出する絹の8割5分を買っていたとされているので、「絹製品ボイコット」が日本製品ボイコットのシンボルとなったとのことである。当時絹といえば女性用のストッキングが主たる使途であったので、日本製品ボイコットにおいてはアメリカ女性が大きな役割を果たした(271頁)というのは非常に興味深い*1。もちろん、南京における日本軍の婦女暴行事件が報道されたからで(も)ある。こうしたアメリカの世論を日本側は十分に認識できず(在米領事などから報告は受けていたにもかかわらず)、パネイ号事件は円満解決だとたかをくくっていた。これが後に南仏印進駐に対するアメリカの反応を見誤ることにつながっていったのではないだろうか。


以下は断片的に印象に残ったところを。本書でたびたび引用されている石射猪太郎日記はなかなか面白そう。南京空襲にあたり、第二連合航空隊参謀は「爆撃は必ずしも目標に直撃するを要せず、敵の人心に恐慌を惹起せしむるを主眼とする」という、民間人に犠牲が出ることを前提とした事実上の無差別爆撃作戦を具申していた(125頁)。日本政府が謝罪のことばを安売りするものの、それがまったく実のないものであることがすでに1937年の時点で揶揄の対象になっていた(248頁)、など。

*1:もうひとつ、274頁以降で紹介されているこのボイコット呼びかけ文書で感銘を受けたのは、それが「この運動は、憎悪からの運動ではない。日本国民が戦争を好まず、戦備に賛成したる先般の選挙候補者の全員に圧倒的反対投票をおこなったことは、明白である」云々と謳っていることである。日本の世論についての認識の当否は別として、ここには「一国の政府の政策についての評価と、一国を構成する民族についての評価を明確に切り分ける」態度がはっきりと見てとれる。嫌韓厨・嫌中厨のみならずいまのアメリカ国民にも見習って欲しい態度である。