「歴史解釈権」って?

このところ「歴史解釈権」という耳慣れないことばをなんども聞かされるので、「はて? 私が知らないだけで、確立した用語なのだろうか?」と思ってググってみたんですが、これがもうみごとに「大東亜戦争は正しかった」と言いたい人の用例しか見つからないんですね*1。「一等史料〜五等史料」って史料分類法みたいなもんですな。
ところが、「歴史解釈権」の用例をみていくと、大きく二つに分かれることがすぐ目につきます。「国民」の権利として「歴史解釈権」を主張している場合と、国家(民族)の権利として主張している場合、です。前者の例がこちら、後者の例がこちら、です。大学のシラバスに「独立国家のみに認められる歴史解釈権」なんて書いてあるので一瞬「アカデミックな世界で確立した用法なのか?」と思ったんですが、調べてみると『世界日報』系知識人のようですから、「大東亜戦争は正しかった」と言いたい人の用例しか見つからない、という判断で間違いないと思われます。
国民の、ないし市民の権利として「歴史解釈権」を語る、というのはまあわかるんですね。単に「思想の自由」って言えばいいんじゃないかと思いますが、憲法第19条は国民が歴史的な出来事について自由に解釈する権利を保障している、と言えるでしょう。ただ、不思議なのは*2、「国民の歴史解釈権」という用例をみているとなにかただ一つの解釈を想定し、そのように解釈する権利を主張しているみたいなんですね。しかし憲法19条に根拠を持つ権利だとすると、国民一人一人に、独自の歴史解釈を持つ権利があるわけですから、「大東亜戦争自衛戦争だった」、「十五年戦争侵略戦争だった」、「アジア・太平洋戦争侵略戦争帝国主義戦争の複合だった」のどれを主張する権利も(と同時に、他の歴史解釈を批判する権利も)等しく認められねばならないわけです。


他方、「歴史解釈権」を主権国家の権利だと考えると、いろいろ問題が発生するわけです。まず国内的には、「国家が歴史解釈権をもつ」とは一体どういう事態を意味するのか? というのも、国民がある権利を持つからといって、国家(政府)が同じ権利を持つとは限らないわけですね、一般に。例えばわれわれ一人一人には、他の市民に対して「靖国神社に参拝しましょう」と呼びかける権利も、「靖国参拝は止めましょう」と呼びかける権利もあるわけですが、日本政府が国民に対して「靖国神社に参拝しましょう」とか「靖国参拝は止めましょう」と呼びかけることはできないわけです。国家が特定の歴史解釈を「国定」のものとする、というのは明らかに憲法第19条に違反していると思いますから、考えられるとすれば歴史教科書を検定する権利でしょうか? しかし教科書検定は学校教育法なんかが法的根拠になってるわけですが、別に「歴史解釈権」とか類似の概念は学校教育法にはないわけです(だって、歴史教科書以外も検定を受けるわけですからねぇ)。
すると「国家の歴史解釈権」というのは、主権国家が他の主権国家との関係でのみ持つ権利、ということでしょうか? たしかに、主権国家間で歴史的事実の解釈をめぐる争いが生じることはあります。その典型は領土紛争でしょう。しかし、もし「歴史解釈権」が主権国家の、不可侵な権利なのだとすると、領土紛争の解決なんてできなくなってしまいそうです。日本は歴史的事実をしかじかと解釈して「竹島は日本の領土だ」と主張する不可侵の権利を持つ…ということになれば、韓国にも歴史的事実をかくかくと解釈して「竹島*3は韓国の領土だ」と主張する不可侵の権利を持つ、ということになってしまうからです。他方、「歴史解釈権」は不可侵の権利ではなく、国際秩序の安定や正義のために、国連や国際司法裁判所における手続き、条約の締結などを通じて制約しうるものだ…と考えるなら*4、わざわざ「歴史解釈権」なんて耳慣れない権利を主張する意味はほとんどなくなってしまうわけですね。そりゃまあ、首相や大統領が歴史的事実に関して好き勝手なことを言うことができる、と言えば言えます。最近も、主権国家の大統領が「ホロコーストはなかった」と発言したり、同じく主権国家国務長官が「イラクとアル・カイーダの間に繋がりはあった」と発言したりしてますから。ただ、国際社会はそうした発言を「もっともだ」と判断したり「暴言だ」と判断したりしてよいわけで、主権国家の政府が歴史についてなにを言おうが国際社会が黙ってそれを受けいれねばならない義理などないわけです。
こうしてみると、歴史的事実に関して主権国家が主張することが受けいれられるかどうかは、結局のところその主張の客観的な(間主観的な、でもいいですが)妥当性と、それから(残念ながら)パワーバランスに依存するわけです。「大東亜戦争自衛戦争だった」という主張に対して「なるほどそうだな」と思う国が多数派になるとか、あるいは日本が現在のアメリカを凌ぐような圧倒的軍事力を持つに至れば、「大東亜戦争自衛戦争だった」という主張は国際的に認知されるでしょう(後者の場合、いやいやながらでしょうが)。しかしそうならない限り、「主権国家は歴史解釈権を持つ」という主張はなんら実質的な意味を持たないんですね。

*1:引用などのケースを除けば

*2:うそをつきました。彼らにとってそうであるだろう…ということは容易に予測できますので不思議じゃありません。

*3:じゃなくて独島ですね。この項追記。

*4:その場合、講和条約第11条が、歴史的事実についてのある種の解釈を主張することを禁じている、と言えることになります。