「身内」の罪

今朝の朝日新聞朝刊国際面に、トルコのEU加盟をめぐる記事が掲載されている。フランスのシラク大統領が「アルメニア人に対する民族虐殺を認めること」をEU加盟の条件として考えていると発言した、とされている。トルコに対しては先日ドイツのメルケル首相も「南キプロスの承認」というEU側の要求を改めて伝えており、「歴史認識」が他国から問われるのはドイツと日本だけに限ったわけではないし、加害者側と被害者側(および第三国)との間で被害規模に関する認識に隔たりがある*1のもよくあるはなしだ、ということがわかる。
さらに、今回トルコに注文を付けた側のフランスだって、植民地支配の肯定的な側面を学校教育で認める、という「旧植民地からの帰還者支援法」第4条の削除を余儀なくされる、という出来事があったばかりで、「身内に甘く、外に厳しい」というのはまあ残念ながら一般的な傾向であるわけだ。アメリカが太平洋戦争当時に抑留していた日系アメリカ人に対して謝罪と保証を行なえたのは、戦後に日系アメリカ人が再び「身内」として統合されたことが大きい。現に、日系アメリカ人補償法に署名したレーガン大統領は、ヴェトナム戦争に関しては堂々と歴史修正主義的発言を行ない、「ヴェトナムシンドローム」の克服に力を発揮したのである。

*1:先の記事によれば、アルメニア側の主張は犠牲者150万人、トルコ側は30万〜50万で「民族虐殺」でもなかった、との主張。