こりゃ便利な方法だ

やはり中国語がわからないと「南京大虐殺」について語るのは難しいだろうと思った件


私はロシア語が読めないので(いや昔ちょっと勉強しようと思って辞書だけはいいのを買ったんだけど(w )シベリア抑留について語るのは難しいだろうし、アラビア語スーダン公用語)が読めないのでダルフール危機について語るのも難しいだろうし、ドイツ語はちょっとしか読めないからホロコーストについて語るのもなかなか難しいし、日本語でも古文書なんかは読めないだろうから江戸幕府があったかどうかを語るのも難しいんでしょう。核物理学がわからないから広島・長崎への原爆投下について語るのも難しいかな。


しかし不思議ですな。中国語が読めないのに「「書いてもらい」と「買い取り」の区別」ができないだろうと語ることはできるんだぁ…。中日辞典ならうちにも一冊あるから、私なら「書いてもらい」と「買い取り」の区別くらいつくと思うんですけどね。それができないというのなら、そもそも自分が「日本語は読める」ということを疑った方がいいんじゃないだろうか。


まあ何度も言ってきたことだけど、この種の認識論的相対主義は決して首尾一貫して主張されることはないんですな。認めたくないこと、語りたくないことについてだけ召還されるんです。東中野修道が「『戦争とは何か』は、第三者的な立場から戦争の被害を訴えるために書かれたものではなく、国民党が資金を提供して書かれた宣伝本であった」と主張した段階では「中国語が読めないと…」なんてことは言わないわけです。ついでに、中国語が読めないと日本軍の戦闘詳報も読めなくなるんでしょうねぇ…。