私はなぜ否定論者にならなかったか?

非正統的な主張(疑似科学であれ偽史であれ)がサバイブする条件についての、good2ndさんの考察を拝見して。

(前略)しかも、否定論にとくに積極的に与しない人でも「否定説もあるようで、実際のところどうなのかよくわからない」という態度の人が少なからずいるようで、これもわりに困ったことだと思います。(後略)

私が自分でも予想しなかったほどこの問題にコミットするようになったのも、やはりこの点が大きいです。「アポロは月に行っていない」説については時間かけて調べてまで書こうとは思わないから。正直なところ、陰謀論レイシズムがベースにある場合、否定論を論駁するのは不可能です。せめてこれ以上拡大しないようにしたいな、と。
で、エントリタイトルはなんのはなしかというと…。

一方で南京事件はどうでしょうか。否定論に初めて触れた人が、特段の知識抜きに「それ変じゃない?」と言えるところはあまり無いのではないかと。「目撃者はいなかった」「報道はなかった」と言われれば、「目撃者がいた」「報道はあった」と知らなければツッコめない。(中略)基本的な歴史的知識に誤りがあっても、僕達は「そんなことも知らない」無知な連中なので、気がつかない。すると、たとえ「怪しい」と感じていたとしても、最初に「いやそこは変だろ」とハッキリ思えるところがないまま話が進んでしまうわけです。

これはなるほど、です。というのも、自分だって少し前までは南京事件について具体的なことなどほとんど知らなかったから。一般論として、戦後の日本人が旧軍の悪行を微にいり細にわたり教え込まれてきた、なんてのは嘘っぱちもいいところです。だって、自分で本買って読むまで、南京攻略戦に10万の日本軍が参加したことすら知らなかったですから。1個師団がだいたい2万人くらいだ(4単位師団の場合)、というのも戦後生まれの人間にとってはまったくなじみのない知識でしょう。「30万人も殺害できるかどうか?」なんてことが問題になっているときに、日本軍の規模も知らないんでは判断が狂っても不思議はありません。
ではなんで私は(一度も)否定論者にならないですんだのか? 一つには、否定論者のなかに渡部昇一とか山本七平がいたからです。別件(特に、ロッキード裁判論)に関連して、どれだけいい加減なことを書くか(それも、単なる間違いという水準を越えて)を具体的に知ってたから。もちろん、その程度の認識だった時点では南京事件について公然と論じたりはしませんでしたが。


もう一つの、ひょっとしたらより決定的だったかもしれない要因。私が生まれる少し前に、第二次戦記ブームというのがあって、私も子どものころによく読みました。うちの親は二人そろって一度も自民党に投票したことがないと言っているくらいだから決して右じゃあないけれど、子どものころに兵器のプラモデル買って作ったり*1しても別にとがめられなかったし、坂井三郎の自伝を買い与えたり、「ごぼうを捕虜に食べさせて戦犯になった人がいたらしいよ」という例のはなしを聞かせるような親でもあったわけです。そんな経緯もあって、もともと広い意味での「戦争もの」は人並み以上には読んでたはず。
ただ、第二次の戦記ブームには特徴があって、戦後すぐの戦記はいわゆる「参謀の戦記」だったのに対して、1960年ごろになると下級将校や兵士だった人たちが書くようになるんだそうです。そうすると、たとえ全体としては自分たちの奮闘をたたえ、「大東亜戦争大義」も否定しない本であっても、参謀や高級指揮官の目に入らない事柄があちこちにのぞくんですな。端的に言えば旧軍における人権意識の低さとか、現場を知らない参謀に対する(低い声の)うらみつらみだとか、戦前の日本の貧しさ、なんかです。坂井三郎の本で言えば、「前線で命を張ってるのは俺たちなのに、配給のタバコさえ将校と俺たちでは差がつけられている」という嫌味を若い上官に聞こえるように話したら、後で上等なタバコの差し入れがあった…なんて逸話が記憶に残ってます(ここは実際にどう記述されていたかより、私がどう記憶したかが問題なので、あえて記憶を確認せずにそのまま書きます)。
それからプラモデルの件で言えば、例えば日本軍の戦車なんかは子どもにぜんぜん人気がないわけです。戦車のプラモ買うならドイツ! ってわけです。そりゃディープなマニアの人になると違うんでしょうけど、要するに子どもが見ても日本の工業力の貧弱さを感じてしまうんですね。ゼロ戦だってエンジンのパワーがないから防弾装備が省略されてて、パイロットの損耗率が高かった、なんてことも小学生の段階で一応知ってたわけです。
そうするとどうなるかと言えば、旧軍に関して幻想(日本軍の軍紀は世界一だった! とかの)を抱かずにすんだ、ということだと思います。兵士の人命が軽んじられ、兵士たちがそのことに不満を持ち、食料の輸送や武器の生産にも困るような軍隊だった…といったことを、決して「日本の侵略戦争を糾!弾!す!る!」てな調子ではない、むしろ「われわれは勇敢に戦った」というトーンの本を通じて知っていたわけです。だからこそ、731部隊南京事件のことをはじめて知ったときにも「日本軍がそんなことするわけはない」という思い込みは持たなかったんじゃないか、と*2


これはgood2ndさんの次の考察につながるように思います。

南京事件も同様です。「日本軍の軍規は厳しかった」とかいうのはほとんど信念であって、南京事件否定論者にとって、それが道徳的に望ましいがゆえに信じられるわけでしょう。「日本人は悪魔じゃない」という気持ちはカジュアル否定な人も共有してるでしょうし。

「日本人は悪魔じゃない」といのは、大部分の「あった」派だって共有している認識であると思いますが、別に悪魔じゃなくても条件がそろえば虐殺をしてしまうんですよね。その「条件」に関して、幻想を持っていなかったのが私の場合幸いしたのだろう、と。

*1:同級生全員の家を回ったわけじゃないけど、けっこうたくさん持ってるほうだったと思う。海軍の軍艦の名前だってたいてい覚えてたし。

*2:単なる印象ですが、濃いミリオタの人にはかえって南京事件否定論者は少ないような…。