『将軍はなぜ殺されたか』

D_Amonさんのこちらでのコメントより。

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日本人だからこそ日本の戦争犯罪を追及するという立場はああいう人々には理解してもらえないのかなと思います。
過去の日本の戦争犯罪は日本文化特有の陥穽も示していたりすることもあり、事実を事実として認め何故そのような戦争犯罪に至ったかを知ることは日本をより良い国にすることにも役立つわけで、戦争犯罪の追及は過去の汚点を有耶無耶にしようとするより遥かに建設的で愛国的というものでしょうにね。
道徳的にも犯罪を犯罪と認め自省することが正しいのは勿論でしょう。「日本人がそういうことをするわけがない」と考えるような特定民族優越思想の持ち主は道徳的な価値基準が異なるのかもしれませんが。
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ということで最近積ん読リストに加わった『将軍はなぜ殺されたか 豪州戦犯裁判・西村琢磨中将の悲劇』(イアン・ウォード、原書房)をばご紹介。著者はオーストラリア生まれの『デイリー・テレグラフ』紙東南アジア派遣員。西村中将は日本の対英米開戦時近衛師団長。山下奉文率いる第25軍の隷下でマレー進攻作戦などに参加した。敗戦時はスマトラ州知事。ちなみに第25軍の作戦主任参謀は辻政信、隷下の第18師団(実際にはもっとも早く攻撃を開始した部隊)の師団長は牟田口廉也
問題とされた犯罪は「パリットスロン虐殺事件」とよばれ、マレー半島の南端近くにあるジョホール州でオーストラリア人、インド人捕虜を銃殺、まだ生きている者も含めて石油をかけて焼いたとされる事件である。副題から想像がつくように、処刑された西村中将は(容疑事実に関して)無実であったと主張し、オーストラリア軍の捜査及び裁判を批判している(なお虐殺そのものがなかったということではない。伝えられる殺害方法は南京事件における捕虜殺害に際してもみられたもので、虐殺の事実そのものはあったと思われる)。

さて、著者は「一度ならず、このような調査をしても何もいいことはないと言われ」た*1にもかかわらず、著者は本書(の原書)を書いた。「オーストラリアは、そして英国も、少なくとも誤った戦争犯罪裁判の記録をただす道義的責任がある」と考えるからである。なんたる自虐! と思うだろうか? 日本軍の戦争犯罪について知ろうとする日本人を「自虐的」と評する人間には、本書を歓迎する資格も賞賛する資格もない。「オーストラリアにも自虐的な人間はいる」と考えるのでなければ、筋が通らないだろう。

*1:言うまでもなく、オーストラリアにも「自国の恥を暴くな」と考える人びとはいるわけだ。