宮台真司、河野談話と南京事件について語る(追記あり)

前々からPodcastの購読リストにはいれていたものの、あんまり聴いてなかった宮台真司のラジオ番組『週刊ミヤダイ』(http://www.tbsradio.jp/miyadai/)。3月2日放送分で従軍慰安婦問題(河野談話)や南京大虐殺について語っていると複数の方からご教示いただいたので聴きました。小室直樹の弟子を自称していて、ロッキード事件陰謀論に与するようなことを発言していたことから判断すると、予測可能な範囲に収まる発言でした。
発言のベースにある基本的なスタンスは

  • 事実に基づかない批判に対してはなんとしてでも反論しなければ、スティグマとして貼りついてしまう
  • 旧軍の戦争犯罪をめぐる議論はとかく「ゼロか100か」になりやすい。そうじゃない議論をするための知恵が(双方に)足りず、日本側の反論は「ゼロ」と主張しているように思われてしまう

の二つだ、とみました。これは「反論するにしても、旧軍や日本政府を全面的に免罪しているかのような誤解は避けねばならない」という主張として理解可能で、力点の置き方について評価は分かれるにしても、無茶なことを言っているわけではないでしょう。特に従軍慰安婦問題については、それなりに言葉を選んだということはできます。特にネット上の否定派が被害者の証言を簡単に否認しがちなのに対して、公文書に残らない、「声にならない声」の問題を無視できないと指摘していたのは「きちんと一線を画した」と言えます。「狭義の強制」がなかったからといって日本政府の責任がゼロになるわけでもない、という立場でもありますね。
ただ、先日来ご紹介しているeichelberger_1999さんの問題提起とのからみでいえば、やはり「強制性」の狭義/広義にこだわるという点で新鮮味のない議論ではあります。「売買春」や「自己決定」の問題については深くコミットしてきたことを自認する論者にしては、やはり物足りないと言わざるを得ません。
南京事件については、自分がコミットする犠牲者数推定を明言したわけではありませんが、「30万はありえない」と言うとともに「1万」という数字を口にしていました。ということで、秦郁彦説よりも少ない推定にコミットしている(板倉由明説?)という印象をはっきりと与える発言でした。一般に30万人説を積極的に批判する人々は「ありえない」という表現の重みを軽視していると思われるのですが、そういうふうに軽くに「ありえない」と言ってよいのなら私は「1万人、ということはありえない」という立場です。
もうひとつ、あちこちで反響を呼んでいるようなのが、「オレたちは左翼に騙されていた」的な言説を一定程度是認している点ですね。「新しい教科書をつくる会」にも一定の功績があったとか、「90年代までに〔日本の戦争責任について、左翼陣営から〕言われていたことのほとんどはまちがい」だったとか。しかし南京事件についていえば否定論は70年代からすでに存在していたわけで、また80年代以降になればそもそも「左翼」陣営のあり方も70年までとは相当違うわけで、雑駁なはなしです。80年代以降に思春期を過ごした人間の一人として回想するなら、「日本軍は悪かった」という情報ばかり耳に入ったという記憶はありません。


もう1点。アシスタントが「日本には、敗者は語らず、という美学が…」とふったのに対して「そうそう」という感じで応じていましたが、それにしては「美しい国」というフレーズを好みそうな人々こそがあれこれと反論していますわな。「敗者は語らず、という美学」をそれなりに貫こうとするのなら、例えば安倍首相は表向きの場では一切沈黙を守り、表に出ないルートでのみ働きかける、という選択肢もあったはずです。実際問題として安倍総理が表立って反論してもいい結果に繋がりそうになかったことは当然予想できたわけで、被害者感情への配慮のみならず有効性という観点からいっても密かに働きかけるという選択肢を選ぶ合理性はあったと思いますが、安倍首相は「敗者は語らず」という選択肢を選ばなかったわけです。


追記:ブクマコメントより。

nessko 80年代までに思春期を終えていた年代だと、「日本軍は悪かった」という情報しか耳にすることがなかった人はざらにいそうだ

いや、それはそれでありえないはなしです。辻政信が国会議員になった社会ですよ? 戦犯裁判についてもほぼリアルタイムで不満が語られていたし。そもそもそれ以前(小熊英二の認識だと70年頃まで)は戦争のはなしと言えば「ひどい目にあった(空襲、引き揚げ、食糧難…)」というのが中心だったわけですから。


再追記(3月6日):「数学屋のメガネ」さんの「蓋然性の問題」について。

戦争になれば相手がいるのであり、しかも近代戦ということになれば戦場にはいつでもジャーナリストがいる。このような状況の下で、無法行為でもなんでも、とにかく勝っていればやりたい放題だと、統治権力である政府が考えることに蓋然性があるだろうか。

まず前提として、旧軍は参謀本部陸軍省といったレベルで慰安婦の「(狭義の)強制連行」を積極的に計画した、と主張している人間はいないでしょう。他方、「相手がいる」とはいっても日本軍支配地のすみずみまで目が届くわけではないし、まして朝鮮半島は当時日本の領土。ジャーナリストに対しては当時検閲があったということも無視されています。中国との戦争において戦時国際法を全て遵守しなくてもよい、という決定は軍中央レベルで行なわれたことも忘れてはなりません。参謀本部陸軍省はともかく、出先の軍の司令官・参謀レベルでは「とにかく勝っていればやりたい放題」的発想は蔓延していたと言っていいほどです。

悪いことをしているのだから、そんなことを言うのは屁理屈だと感じる人もいるかもしれない。しかし、この責任の重さを考慮するということは、個人の裁判の場合と同じではないかと思う。悪いことをした人間はみな同じ責任をとらせろということでは、止むを得ない事情の下に起こってしまった犯罪というものを特別扱いすることが出来なくなる。これは、責任というものを考える際には、考慮すべき事柄ではないかと思う。

ここでは「直接的な関与か・間接的な関与か」という問題と「情状酌量の余地」の問題とが混同されています。軍が直接強制連行にタッチしたかどうかの問題は、「やむを得ない事情の下に」行なわれたのかどうかとは別の問題です。なお、出先の部隊レベルで軍人が直接強制連行に関与したケースなら、オランダ主催の戦犯裁判で裁かれ、有罪判決が出ています。

この場合の蓋然性は、在日朝鮮人の大部分を「強制連行」するだけの余裕が当時の日本にはなかっただろうというところから考えられる。もし、国家を代表する政府がそのようなことをするなら、軍隊の戦力のかなりの部分をそこに割かなければならなかっただろうが、そのような余裕があったとは思われない。また、そこまでしなければ政府が国益を守れなかったかというところもある。

結論はともかくとして、この部分の推論は随分甘いです。国家が持つ強制力は軍隊だけではない(警察もある)し、朝鮮半島は戦場になっていないのだから、民間人の拉致に精鋭部隊をつぎ込む必要もない。「蓋然性」からの判断としては無理があります。中国人捕虜も含めて、「外地」から「内地」への強制連行があったのは事実です。そのことと、現在の在日韓国・朝鮮人が「(狭義の)強制連行」された人びとの子孫ではない、ということとはまた別の問題です。

これはその指摘が正しいだろうと思う。当時の南京の人口が30万人に近い数だったのだから、犠牲者の数が30万人だったら、ほぼ全員が殺されたことになるのだが、これはまったく信じられない。原爆のような大量破壊兵器であれば、一回の戦闘での犠牲者が大量になることが考えられるが、それでも30万人という数は多すぎる。蓋然性という点ではまったく妥当性がない。

当時の「南京の人口」についてはっきりしたことはわかっていません。戦前の、狭義の南京市は100万都市、広義の南京市(南京特別市)の人口は200万を超えていました。戦禍を避けて退避する人がいる一方、農村部や日本軍の進撃路にあたる都市からの避難民も流入していました。「20万」とか「25万」と言われているのは南京市の一部である南京城内の、そのまた一部である国際安全区の難民数です。南京事件の被害者として戦後の戦犯裁判の段階から数えられている中国軍将兵(5万人説から15万人説までがある)も勘定にはいっていません。「人口20万のところで30万人殺せるはずがない」は、否定論の典型的なトリックです。

しかし、犠牲者の数が30万人ではなかったというのは、犠牲者はいなかったのだということにはならない。宮台氏も、もしかしたら1万人くらいはいたのかもしれないというようなことを語っていたが、1万人だから「大虐殺」ではないという主張も変なものだ。強姦されたり、不当な殺され方をした人がいれば、たとえ一人であろうとも「大虐殺」だと言えるかもしれないのだ。

個人的な意見ですが、「1万人」の蓋然性は「30万人」の蓋然性とせいぜいのところ「似たり寄ったり」です。旧軍の戦闘詳報(全体の3分の1ほどしか見つかっていない)に記録された捕虜・投降兵の殺害だけをカウントしても1万を遥かに超える数になります。幕府山砲台付近で捕虜となり殺害された捕虜だけでも1万5千人ほど、かなりの蓋然性で2万人を超えることが山田支隊関係者の日記から推定できます。言い換えれば、「通常の戦闘」以外で殺害された中国人が1万人を超えることに疑いの余地はない。つまり、「1万人」説は捕虜や敗残兵の殺害のほとんどを「合法的だった」と主張して被害者数から排除しない限り成り立たないんですね。