『文藝春秋』4月特別号、その他の記事

硫黄島からの手紙』の脚本を担当したアイリス・ヤマシタの「『硫黄島からの手紙』を書いた私」。米兵が投降した日本兵を射殺するシーンへのアメリカでの反応、イーストウッドの仕事の進め方などが紹介されている。パン屋の西郷のキャスティングは「私がイメージしていたよりもずっと若い青年」だったとあるが、そりゃそうだろう。
おなじみ古森義久の「『ザ・レイプ・オブ・南京』映画の罠」(214ページ〜221ページ)。文藝春秋社にとっては『文藝春秋』と『諸君』のあいだにはっきり線をひいた方が得だと思うんだけどなぁ…。驚いたことに、テッド・レオンシス氏らのプロジェクトについて「彼が『ザ・レイプ・オブ・南京』という本に触発され、その書を土台に映画制作にとりかかった」「レオンシス氏が同書に触発され、同書を参考にして映画をつくるという出発点」などとまだ言っている(強調は引用者)。言うまでもないことだが、「触発」されることと「土台」にすることとは大いに異なる。また、サンダンス映画祭におけるこの映画の紹介文を引用して、次のように述べている。

 犠牲者の数が二十万人とされてはいるが、これだけでも基本的には『ザ・レイプ・オブ・南京』の記述や中国側の主張が映画の土台であることがわかる。

引用されている紹介文のソースは明記されていないのだが、次の英文と内容的にほぼ同一である。

In the winter of 1937, an invading Japanese army entered the Chinese city of Nanking and proceeded to obliterate the helpless population. Two hundred thousand were killed, and tens of thousands of Chinese women were raped. In the midst of this mayhem, a small group of expatriate Westerners--missionaries, businessmen, college professors, and doctors--attempted to create an oasis of safety to protect the citizens they could. It is through their eyes, by means of letters, diaries, and other reports of the destruction, that filmmakers Bill Guttentag and Dan Sturman reveal the events of that terrible time.

「これだけ」を読んで「基本的には『ザ・レイプ・オブ・南京』の記述や中国側の主張が映画の土台」だとわかるのは、おそらく否定論脳の持ち主だけだろう。常識的に考えれば「20万人」という数字から東京裁判を連想するのがふつう。古森氏はもうなにがなんでもこの映画を『ザ・レイプ・オブ・南京』と結びつける、と堅くこころに誓っているようだ。
最後の一節は「もの言う日本外務省に」と題して、日本政府が強気で反論することを期待するという内容になっているのだが、その際アメリカ議会での「「慰安婦」非難決議」にも言及し、加藤良三駐米大使の発言が「これまでにない打って出る対応」だと評価している。原稿執筆から掲載までのあいだに起きたことを考えれば、古森氏の見通しは甘かった、ということになろう。