『日本帝国陸軍と精神障害兵士』

このエントリで言及した清水寛編著の『日本帝国陸軍精神障害兵士』(不二出版)。目次を再掲しておく。

I 陸軍懲治隊と陸軍教化隊
第1章 陸軍懲治隊と徴兵制―近代初期における軍隊と障害者問題
第2章 陸軍教化隊と国家総力戦体制下の徴兵検査
II 日本帝国陸軍精神障害兵士
第3章 国府陸軍病院収容の精神障害兵士の概況
第4章 日本帝国陸軍と知的障害兵士
第5章 日本帝国陸軍と戦争神経症兵士
第6章 敗戦前後の陸軍病院での精神障害患者の状況
III 精神障害兵士の戦後
第7章 戦傷病者特別援護法等の受療者の概況
第8章 〈未復員〉精神障害者を訪ねて


日本の徴兵制度は何度か変更を加えられているが、1927年以降の「兵役法」時代には身体検査の結果「現役」に適する者としての甲種、乙種(第一、第二)、「国民兵役」に適する者としての丙種、さらには兵役に適さない者としての丁種などに分類されていた。もちろん、これはあくまで軍の都合による分類、「弱兵」を排除して「強兵」を確保するための分類である。しかし兵役が「帝国臣民男子」の義務であった時代において兵役を免除されることは「「臣民」であることを実質的に拒否されることにほかなら」(68ページ)ず、このことは「兵役=男子の義務」という価値観を内面化していた障害者に二重の苦痛をもたらしたようである。70ページ以降で3人の証言が紹介されている。そのうちの1人は子ども時代のケガが原因で義務教育終了後には寝たり起きたりの生活に。父親を事故で失い、母親が1人で5人の子どもを育てていた。徴兵年齢に達し兵役免除の手続きをしていたが出頭して徴兵検査を受けよとの命令。当日は朝まだ暗いうちから母親に「手を引かれるようにして、雪解けのぬかるみ道を」検査場に急いだが、ほんの数分遅刻してしまった。取り調べにあたった憲兵に「非国民」と怒られ思わず釈明してしまったところ、衆人環視の下で殴る蹴るの暴行を受ける。ようやくのことで検査を終了して家に帰ると、母親の職場の労務主任(遅刻に関して憲兵から問い合わせを受けていた)からまた怒られ、以降周囲の人々から「国賊」扱いされた、という。にもかかわらず、試験場での本人の気持ちは「非国民と罵られた怒りよりも、自分自身の不甲斐なさの方が情けなく感じるというものであった」とのことで、人々がいかに軍の論理に呪縛されていたかがよくわかる(論理の主体は「軍」ではなくなったとはいえ、このような現象が今日の日本で存在しないとは言えないだろう*1)。
もちろん、当時の日本がこの青年にみなつらくあったたわけではない。検査を担当した軍医は「戦争に行くばかりが務めではない。銃後の守りも大事だからしっかり頑張りなさい」と、この時代と立場を考えれば精一杯かと思われる慰めの言葉をかけてくれたというし、自殺を決意した青年を助けてくれた老婆は青年のはなしに相づちを打ちながらも「しかし人間は死んでは駄目だ」と優しく諭してくれたという。おそらく、もっとも重大な問題を提起するのは、青年の障害について熟知しているはずの近隣住民たちが一家を「国賊」扱いしたことではなかったろうか。


また兵役法は建て前としては軍にとって合理的な規定を設けていたにもかかわらず、実際には少なくない知的障害者が招集され、やがて「問題」を起こして国府陸軍病院へと送られてくることになった。次に述べる戦争神経症患者の場合と大きく異なるのは、大半が「弐等症」すなわち軍務に関係のない障害と診断された彼らは傷痍軍人恩給の対象外とされたことである(124ページ)。むろん、多くの場合障害が入営前からのものだったことにまちがいはないのだろう。だが本来なら軍の論理に照らして「兵役に適さない」彼らを徴兵して不慣れな環境に投げ込み、無用な苦しみを味あわせたことを本書は批判している。


さて私の関心からすれば「目当て」であった第5章である。野田正彰は『戦争と罪責』(岩波書店)でやはり国府陸軍病院の「病床日誌」を利用し、「虐殺の罪におびえる記述」が残されているものは神経症圏、心因反応と診断された約2千件中たった2例(うち1例は本書でも紹介されている症例)しかなかった、とした。実は野田本人ではなくNHKのディレクターが下読みした結果なのだが、『戦争と罪責』の最終章においてこの認識がもつ意味はかなり大きい。ところが本書によれば、調査対象とした374人中「罪責感」に関わる症状をあらわしている患者が31人、8つの分類中第4位にあがっているというのである。この食い違いはひょっとすると旧日本軍、戦後日本の戦争観、元将兵の戦後を考えるうえで大きな意味をもつやもしれず、今後の研究に期待するとともに『戦争と罪責』を読み直してみる必要を感じた。
テーマ的には「本館」向きとなるが、「〈未復員〉精神障害者を訪ねて」と題された最終章が提起するものもなかなか重い。


なお、南京事件研究でもしばしば言及される早尾乕雄軍医中尉(当時)の『戦場神経症並ニ犯罪ニ就テ』が第5章で援用されている。早尾軍医の研究でも、また本書で紹介される症例をみても、「便衣兵」が中国戦線で闘った兵士にとって少なからぬ脅威であったらしいことがうかがえ、「住民を敵とする戦争を強いられた兵士が起こす虐殺」という図式が成立することがわかる。

*1:「本館」で何度か問題にした、日本が殺人は少ないが自殺の多い社会であることなどとの関連もありそう。