『軍法会議』

これは掘り出し物。花園一郎著、『軍法会議』、新人物往来社(1974年)。著者は東京帝大法学部卒、41年に陸軍主計少尉(敗戦時大尉)。「はじめに」を立ち読みして軍法会議の法務官を務めた人物であることを知り、また目次に「中支第六師団」の文字があったので、第十軍の法務官として貴重な証言を日記として残した小川関治郎氏のことが連想され、買ってみたのである。著者の入隊は40年なのでもちろん南京攻略戦には加わっていないのだけれども、別の問題の当事者であることが判明した。
著者は敗戦の年の3月、第17軍臨時軍法会議法務官職務取扱となる。第6師団は当時ブーゲンビル島にいて敗戦後はオーストラリア軍に降伏した。オーストラリア軍に降伏した日本軍がその後も軍法会議で(敗戦前の)敵前逃亡等を裁いて死刑も行なわれていたことを田中利幸が『知られざる戦争犯罪』で紹介しているが、なんとその当事者の一人だったのである。いま『知られざる戦争犯罪』を確認してみたらちゃんと「このことは元陸軍法務官、花園一郎氏の回想記からも明らかである」と紹介されていた。まるっきり失念していたので、幸運だった。
著者が敗戦後の軍法会議にどう関わったか(あるいはどう関わらなかったか)については追って紹介するが、今回はとりあえず「日本の国民兵たちは太平洋海域、否、全戦域で敵の弾よりも、日本の職業軍人の手で、より多く殺されたのだ」(「はじめに」)という問題意識から書かれた回想記である、とだけ記しておく。