『グアムと日本人』

先日買った『グアムと日本人』(山口誠、岩波新書)を読了。分野としてはツーリズム・スタディーズと言ってよいのだろう。この手の研究はディテールにこそ意味があると思うのだけれどそこは素人の特権でざっくり大くくりすると、「60年代にハワイをモデルとして、というよりハワイのパチもんとして観光開発された宮崎で生まれた“新婚旅行の文法”を、70年代にグアムに持ち込んだ」というはなし。もちろんグアム側にも観光客を誘致したいという目論見はあったわけだが、日本のメディア(および旅行代理店)はハワイのパチもんのパチもんとして、「青い空、白い砂」としてのみグアムを表象し、戦争の痕跡は「忘れたことさえ忘れてしまった」というわけである。
ここで本書の文脈を離れてこちらの関心にはなしを引きつける。70年代というのはおおざっぱに言えば1920年代生まれが企業社会(メディアであれ、旅行代理店であれ)の中心に位置するようになった時期だと言ってよいだろう。1920年代の男性は、大戦末期には徴兵年齢が18歳にまで引き下げられているから、その大部分が戦争中に徴兵年齢を迎えており、この世代にとってグアム島で戦死した日本兵の運命は他人事ではなかったはずである。この世代が率いるメディアと旅行代理店が「戦争の記憶」を埋め立てて戦後生まれの団塊の世代に新婚旅行先として売り込んだのがグアムだ、ということになる。黒的九月さんがここのコメント欄で紹介された『SPA!』の記事の見出しにある「多くの守備隊が命を落としたビーチで日本人が結婚式」といった文句から、少なからぬ人が戦後生まれの世代の戦争への無関心に対する嘆きを読みとるのではないかと思うが*1、戦争の「記憶」を直接には持たない戦後派*2に対して「青い空、白い砂」のグアムを提供してきたのは他ならぬ戦前・戦中派だ、ということである。
もうひとつ。北京の石景山遊園地を嗤うのはまあいいのだけれど、日本がハワイのパチもんをせっせとつくっていたことを知らずに(or忘れて)嗤っているのは天に唾するようなものだ、と。

*1:記事そのものは読んでないけど、実はこの山口氏の研究を紹介する記事なんじゃないのだろうか。

*2:もっとも、戦前・戦中派でも米軍がグアム島を奪還した際の戦闘について正確な知識を持つひとは限られているのだろう。