『フーコン戦記』(追記あり)
古森義久氏が肝心の『フーコン戦記』を読まずにその引用を批判していることがミエミエだったので、買ってきた。
- 古山高麗雄、『フーコン戦記 戦争文学三部作』、文春文庫
初出が1997年の『文學界』6月号〜99年3月号、単行本が99年11月、03年に文庫化されている。一等兵として従軍した著者77歳のときに始まった連載、ということからも著者の思いの一端をうかがうことができるだろう。
フーコン(フーコン谷地)とはビルマ北部、インド及び中国(雲南省)と接するあたりの地名で、主人公は第18師団(菊兵団)歩兵第55連隊の兵士(作者は第2師団)。同じく第18師団の歩第56と共にフーコンで壊滅的な打撃を受けた部隊。師団の残る歩兵聯隊である歩第114はフーコンの東、ミイトキーナで壊滅している。この夏、NHK BSHiで放送された「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズの第3回は「北部ビルマ 最強部隊を苦しめた密林戦 福岡県・久留米第18師団」のタイトルでこの師団の生き残り将兵の証言を伝えている。再放送の機会があればぜひご覧いただきたい。地理的にいって援蒋ルート(ビルマルート)の遮断という、日本の戦争目的にとって重要な意味をもつ(はず)の地域で、インパール作戦に劣らぬ苦戦をした師団である。第18師団(本書では多く「菊」と呼ばれている)のビルマ戦線での戦没者が2万人(そのうちフーコンだけで5千人が戦死、戦病死)、生還者が1万1千人(14ページ)。歩兵聯隊が3箇の三単位師団なので通常の編制なら1万5千人弱が定員のはずで、ということは戦傷死者分が補充されてはまた死傷していった、ということになろう。なお「証言記録 兵士たちの戦争」では将兵の8割が命を失った、とされていた。第十軍の隷下で杭州湾上陸作戦にも参加しているが、南京城の攻防戦には直接参加してはいない(蕪湖方面に進出)。
さて、今回は取りいそぎ「素粒子」で引用された箇所を確認しておくことにする。9月5日の「素粒子」は読んでいないのだが(というか、ふだんから読まないのだが)、古森義久氏の引用を信用しておくことにする。
昭和の参謀大往生。「あいつらの言う国家とは、結局、てめえだけのことではないか」「何万人もの兵士が餓死しても、すべて、国のためだと言って、平気なのだ」(古山高麗雄・フーコン戦記)
この文言を含む部分を、前後もあわせて引用しておこう(378-379ページ)。敗北に敗北を重ねたあげくの退却時、師団長から「一人でも敵手に委ねてはならぬ」という命令が出されたため、歩けない傷病兵を“安楽死”させている光景を思いだしている場面。
辰平〔=主人公〕は、瀕死の兵士でも、日本人の心のどこかには、敵には殺されたくないとか、生きて虜囚の辱めを受けたくないとか、そんなものがあったのだろうかな、と考えてみたが、答えは出なかった。とにかく、日本の下っ端の兵士は惨めだった。殺される兵士も、注射をして回った衛生兵も、遺品をあさった輜重隊の兵士も、俺も、みんな、みじめだ。けれども、みじめだ、と言ってみてもしようがないな、と思うのであった。師団長や、辻政信や、ああいった連中のことを考えると、コンチキショウ、とは思うのだ。あんな戦争をして、なにが、一人残らず連れて退がれ、だ。あいつらは、ふたこと目には、国家のためと言うが、あいつらの言う国家とは、結局、てめえだけのことではないか、と思うのである。あいつらは、国民がどんなにみじめな目に遭っても、何万人もの兵士が餓死しても、すべて、国のためだと言って、平気なのだ。
名指しされているのは辻政信と第18師団長だが、かといって他の大本営参謀を「ああいった連中」から除外すべき理由もみあたらない。フーコンでの作戦指導に関して瀬島龍三個人にどのような責任があるか、それともないのか、この点は私には分からない。しかし太平洋戦争のほぼ全期間大本営参謀だった人間に、この負けた戦争全般の責任の一端があることはもとより自明であり、その責任を追及しようとする元兵士の声をフーコンに見いだしたからといってなにか不都合があろうか? この後に続く一節を読めば、なぜ『フーコン戦記』が引用されたかはよりいっそう明らかになろう。
だが、それを恨んでも、どうしようもないな、とも思うのであった。
実際、国だの、社会だの、人生だのというのは、どうしようもないものだ。俺は、心の中で、あいつらを罵倒することはできるが、あいつらを追放することも、世の中を変えることもできないのだからな。それどころか、いまだにあいつらを、立派な閣下だとあがめている元将兵が少なくないのだ。(…)
産經新聞とかその愛読者は「先の大戦における先人の苦労を思って」云々と主張するのが好きな人が多いと見受けるが、古森義久氏は菊兵団の2万人の死者のためには、そして生還者も含めた将兵の「苦労」については一体なにを語ってくれるのだろうか。
追記:ブクマコメントより
hogshead 何かを糾弾するために引用すること自体、古山の諦念から離れる行為で、その素粒子に対する古森のカウンターもそこが抜けていてなんだかなーと思う。
hogsheadさんのこの指摘には非常に意味があると思います。私も、『フーコン戦記』からの引用を批判するならばこのような方向性でこそ行なわれるべきであり、極めて表層的なことばづかいにのみ噛み付いた古森氏の批判は端的にいって「つまらない」と思います。ただ、主人公(あるいは・かつ作者)の心情を「諦念」とのみしてしまうと、それはそれで「素粒子」と同様の単純化になってしまうでしょうから、やはり「コンチキショウ」という心情も汲み取るべきものとして現にあるわけです。
なお、歩兵第55連隊ではありませんが、同じ第18師団の歩兵聯隊で、ミートキーナで戦った歩第114の下士官の従軍記を手に入れましたので、近いうちに紹介させていただきます。古書店で立ち読みした際に、現地住民の殺害について記述してあるのに気づいて目をつけていたのですが、第18師団が話題にのぼったため思いだして買ってきたという次第です。