理系とか関係ないですから

http://anond.hatelabo.jp/20080104052304

周知の通り、はてな界隈には(俺を含め)情報技術者とか理系大学生が結構いるのだけど(アーリーアダプタ(笑)だからね)、南京事件に関する議論に対して「どっちもどっちだ」という反応を顕著に見せているのは恐らくこの層だろう。自然科学的方法論に毒された人間がこの問題を眺めると、そういう結論にならざるを得ないんだよ。自然科学では手続きの妥当性によって客観的な正当性が担保されるから、相手の人格否定に重きを置くような論者同士の意見には優劣を付けられない。主張の内容レベル以前の問題で。だから、「どっちもどっち」は「主張の内容のレベルが同程度だ」という意味じゃなくて、単純に「手続きのレベルが同程度だ」という意味でしかない。

そりゃ「理系」だからでも「手続きのレベル」に重きを置いてるからでもなく、単に他人事としてながめてるからだよ。インテリジェント・デザイン論者の相手をネットで1年でも2年でもしてみれば考えは変わるから。以前にもここで紹介したけど、「前線の兵士が日記なんて書くはずがない」なんて驚天動地の前提までもちだして南京事件を否定しようとする人間がいるんだから。しかも「書くはずがない」という根拠は否定派の旧軍人の証言。「命令で捕虜を殺した」って兵士の証言はウソと決めつけるのにさ。こういう風に、まさに「手続き」の点で否定論はデタラメなのよ。さすがにここまで露骨なのは少数派だけど、活字メディアに載るものにだって「都合の悪い証言は具体的な根拠なしに否定、都合のよい証言は鵜呑み」という誤った「手続き」を使ってるものはいくらでもある。例えば「バターン死の行進」に関して日本軍を免罪しようと目論んだ、笹幸恵「「バターン死の行進」女一人で踏破」(『文藝春秋』、2005年12月号)とかね。
ま、この当人も実は「しばしばおかしなシンパが現われて話をかき回すから話がややこしくなるけど。。。」と認めているわけだが、要するにこれって、疑似科学批判者の中の気の短い(あるいはその手のキャラをつくっている)人間を「おかしなシンパ」として切り捨ててるだけ。そんなことしていいなら、こっちも同じように口の悪い人間を切り捨てればお上品な「歴史修正主義」批判者ばかりが残るざますよ。ちなみに否定論者がどんな「人格否定」を行なうかを知りたければ、ここなんかをご覧になってはどうでしょうか。これで「どっちもどっち」と言われるのは心外ですなぁ。