06年12月26日付けエントリへのコメントについて

こちらもぼちぼち容量制限に引っかかりそうです。これの続きはこちらにお願いします。


追記:1月13日づけの、容量制限で表示されなかったseabass35さんのコメントは次の通りです。

seabass35
『>「ないことの証明」は「あることの証明」に比べ、一般に困難である場合が多い。

「南京で大虐殺が起こらなかった」ことの証明なんか簡単です。
中国人の生存者から「虐殺なんかなかった。」という証言をいっぱい集めてくれば良いんです。
そりゃ、完全な証明とは行かないでしょうけど、今の否定論の情けない現状よりはずっとましです。

NEET1Fyfucさんの意見って、他の否定論と通底するところがあると思います。
否定論者は、どれだけ証拠を出されても「証言は証拠にならない。」とか、「文献は検証が必要だ。」とか平気の平左でいます。
でも、どんなに少なく見積もっても、大体の証言や文献は「ないよりまし。」であり、山と積まれれば強力な証明力を有するということが分からないんですね。
山と積まれた時点で、もう9分9厘勝負有りなんですよ。
それを覆そうとするのが、困難なのは当たり前です。「悪魔の証明」だからじゃなくて、奈良に大仏がないことを証明するのが困難なのと同じです。

これは重要なポイントですね。「なかった」という証言は時間的・空間的範囲をきちんとカヴァーしてないといけないんです。断片的だと「その時、その場ではなかっただけ」という結論になってしまいますから。しかし断片を十分な数つなぎあわせることができれば全体として「なかった」と推論することはもちろんできるようになります。