どこかで目にしたような、と思ったら…

沖縄戦「集団自決」に関して、軍が民間人に何かを命じることなどできるはずがないのだから軍関与はなかった…とする主張を読んでいて「どこかで同じような論法を目にしたことがある」と思っていたのだが、想い出した。
ロッキード事件の地裁判決後に、渡部昇一山本七平小室直樹といったオールスター・キャストで『諸君!』がロッキード裁判批判キャンペーンを大々的に展開したことがある*1。ちなみに、渡部センセは「ロッキード裁判は東京裁判以上の暗黒裁判だ」と『諸君!』1984年1月号でブチあげたのだが、その後立花隆に主張を木っ端みじんに粉砕されて、結果的に東京裁判は暗黒裁判でなかったことを証明する(笑)羽目に陥っております。
裁判批判論の論点は多岐にわたるのですが、いわゆる「職務権限」論において、「首相は民間航空会社の機種選定を左右する権限などない、もし田中が有罪なら、首相は民間会社の意思決定に口を出してもよいということになってしまう」という趣旨の裁判批判論があった。最高裁判決*2はこの点について次のように述べ、弁護側の主張を斥けている。

賄賂罪は、公務員の職務の公正とこれに対する社会一般の信頼を保護法益とするものであるから、賄賂と対価関係に立つ行為は、 法令上公務員の一般的職務権限に属する行為であれば足り、公務員が具体的事情の下においてその行為を適法に行うことができたかどうかは、問うところではない。けだし、公務員が右のような行為の対価として金品を収受すること、それ自体、職務の公正に対する社会一般の信頼を害するからである。

立花隆はこの点を(地裁判決にもとづいて、であるが)次のように解説している(『ロッキード裁判批判を斬る 1』、朝日文庫、174ページ〜)。

 つまり、もし、職務権限規定からみて、違法行為、不当行為にあたるものは、「職務権限なし」と認められてしまって、賄賂罪が否定されるとしたらどうなるかということだ。すると、賄賂罪が成立するのは、正当行為のときだけということになる。つまり、「なすべきことをした」人間は罰せられるが、「なすべきでないことをした」人間は罰されないということになってしまうわけである。
 そんなバカなことがあってよいわけはない。だいたい賄賂というのは、通常すべきでないことをしてもらうために差し出されるものである。そんなバカなことになったら、賄賂罪はほとんど成立しなくなる。だから、「賄賂罪の成否を論ずる場合には」、違法行為、不当行為も職務権限内の行為とみなすのである。

ここまで書いてくるうちに思いだしたのだが、要するにこれも丸山眞男のいう「権限への逃避」の一例である*3。国家が「なすべきこと」だけをなして「なすべきでない」ことは一切やらないのならけっこう毛だらけ猫灰だらけだが、もちろん現実がそうでないことは誰でも知っている。国家はその権力を背景として、法的根拠のない(ないしあやふやな)ことでも国民に強いることがあるわけである。それでいて、その強制の責任を問われた時にだけ「そんな権限はない」などという言い抜けを許したのではやらずぶったくりもいいところである。


こうしてみると、「集団自決」に関する軍の責任を問題にするうえでは、軍が非戦闘員に自決を命じる「権限」が厳格な意味であったかどうかなど重要でないことがわかる。では上で引用した最高裁判決のいう「一般的職務権限」に相当する条件が成立していたのかどうか、さらにはそうした「一般的職務権限」しか成立していなかったのかどうか…という点について、この数ヶ月、id:nagaikazuさんを筆頭に多くの方からいただいたご教示をもとに次のエントリで暫定的*4にまとめてみたい。

*1:その実、田中失脚の直接のきっかけとなったのは、『文藝春秋』に載った立花隆児玉隆也のルポだったのですが。

*2:ただし、田中は高裁判決後に死亡しているので公訴棄却となっており、また上告しなかった被告もいるので、丸紅ルートで最高裁判決を受けたのは2名のみ。

*3:「権限への逃避」については、例えばこちらを参照されたい。

*4:暫定的に、というのは私の調査が暫定的、ということ。