千原楠蔵と石原莞爾

1年間連載された朝日新聞の企画「新聞と戦争」はまもなく完結となりますが、本日(3月27日)の夕刊には第6面全部(広告のぞく)を使って「封じ込められた「反東条」 元朝日記者・千原楠蔵と陸軍中将・石原莞爾の関係」と題する特集が掲載されている。
千原楠蔵は上海の東亜同文書院1921年に卒業、同年大阪朝日新聞に入社、東京朝日に移った後39年に退社。44年8月東京憲兵隊に検挙され、翌3月に獄中で病死。隣の房にいたのは東条暗殺を企てた牛島辰熊(東亜連盟同志会)だったという*1
次男への取材によれば千原は「中国民衆のナショナリズムを理解していた」とされている。後年の回想ゆえ戦後の視点からの解釈が紛れている可能性は否定できないが、上海で高等教育を受けていること*2、日中全面戦争に反対した者は多く中国におけるナショナリズムの興隆を把握していた者であっただけに、おそらく正しい人物像なのであろう。


千原が検挙されたのは東条政府を厳しく批判し国民の総蹶起による「軍閥」打倒を訴えるガリ版刷の文書を配布したためだが、その内容は千原が石原の主張をまとめたものだった、というのである。取材によれば千原は44年7月の8、9日に鶴岡の石原宅を訪問している。


特集は石原が43年に別の(現役)朝日新聞記者に語ったことばを伝えている。「どうだね、朝日新聞は全面を埋めて戦争反対をやらんかね」という問いに「朝日新聞は潰されてしまいますよ」と応じた記者に、石原はこう返したという。

 潰されたって、戦争が終わってみろ……。朝日新聞はまた復活するよ。従業員は帰って来る。堂々とした朝日新聞になる。(…)

*1:牛島については雑誌『GONKAKU』連載のノンフィクション、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊成)に登場するとのこと。といっても、私は格闘技のことはさっぱりわからないので。maroon_lanceさんのブログで拝見した情報です。

*2:東亜同文書院といえばOBに本ブログでも時おり言及した石射猪太郎がいるほか、満鉄調査部の(元)左翼メンバー数名がいる。