とはいえ…

ブクマコメで buyobuoさんや so1944 さんが言っているように頭にくるのも無理はない、ということをもう一方の当事者が着々と立証している。
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080405/syuusei
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080407/horyo
(以下、特に断らない限り前者からの引用。)

 南京事件南京大虐殺)とかホロコーストは、そちら方面の言語の知識がないので言及は避けますが、たとえばこんな感じ。

まだ言ってるよ(笑) こんなの嘘っぱちである、と私は断言できます。何故なら、この人物は紀元一世紀のアラム語も紀元一世紀のギリシャ語もできないのに、福音書の和訳について「言及」したことがあるからです*1。非常に興味深いことに、この場合にも彼は「ネット」で「すこし調べて」みただけで、非常にポピュラーな岩波文庫の翻訳を参照してみることなどしなかったわけです*2。今回限りのことではなく、要するに「相手に何かを主張させないため、自分が何かを主張することを避けるためにのみ不可知論的・懐疑論的な態度をとり、自分が何かを主張したい時には実にお手軽に主張する」のは彼がよく使う手なのです。
だいたい、中国語ができないから南京大虐殺に言及できないとかドイツ語ができないからホロコーストには言及できないと考えるなら、戦前の日本の徴兵制や各種法制について一通りのことを学ぶ前に「兵事主任」について言及するのもおかしなはなしです。日本の徴兵制について(あるいは元兵士の回想記などで徴兵された前後の経緯について触れたものを)何冊か読んでいれば、そして沖縄戦に関して基本的なことがらを押さえていれば、「兵事主任」ってそんなに「重要な役割」なのか? といった問いなど立てるはずはないと思いますが。実は、昨日紹介した『松本清張への召集令状』では、復員した兵士が地元の兵事係(と同じ部隊の古兵)に復讐するという筋立ての清張作品がとりあげられています。誰を招集するかの決定に関わる兵事係は戦時にあっては(特に戦況が悪化してからは)結果として他人の生死を左右する立場にあったわけです。戒厳令が敷かれていない沖縄で、そもそも正式には命令できるはずがないこと(=自決)を、法的手続きに厳密に従うつもりがない人物(軍律裁判抜きで沖縄市民を“処刑”した人物)が命令したかどうかが問題になっている時に、軍民間の「正式」な指揮命令系統を問うこと自体が無意味だと思いますが。そして守備隊が住民になにごとかを伝えようとするなら、軍民間のインターフェースとして位置づけられている兵事係(兵事主任)を使おうと考えることにはなんら不自然なところはなく、その証拠に“自決命令”を否定しようとする陣営からも「兵事主任にそんな重要なことを伝えさせるはずはない」という議論は出てきていないわけです(反対に、手榴弾の配布について「軍から村の兵事係を通じて防衛隊に渡すもの」と、兵事係の役割の重要さを原告側証人が語っていることについては、こちらを参照)。
このような人物が、「歴史を楽しもうとか、歴史で何かを学ぼうとか、そこらへんがあまり感じられないのですね」などと述べるのはもう片腹痛い、としかいいようがない。というのも上記の例は、沖縄戦およびそれを包含するアジア・太平洋戦争の歴史について体系的に学ぼうとするのではなく、断片化された一、二の項目について懐疑的な態度をとってみせることにより研究者の記述にケチをつけようとする方法が、まさにそうした方法自体がはらむ限界によって破綻した事例だからです。


また、「大江健三郎沖縄ノート裁判は、元テキストの誤読があるので、名誉毀損はちょっと無理だろう」というのも、この裁判全体の構図を無視したいい加減な評価に他なりません。「巨塊」と「巨魁」の誤読に関する山崎行太郎氏の、小説家・言論人としての曾野綾子に対する批判はもっともなものですが、では「巨魁」じゃなくて「巨塊」だったから名誉毀損にはならない、なんてことにはなりません。報道された大阪地裁の判決要旨は次のように述べています。

1 「沖縄ノート」は座間味島渡嘉敷島の元守備隊長を原告梅澤及び赤松大尉だと明示していないが、引用された文献、新聞報道などで同定は可能であり、本件各書籍の各記載は、原告梅澤及び赤松大尉が残忍な集団自決を命じた者だとしているから原告梅澤及び赤松大尉の社会的評価を低下させる。

つまり、他の争点のうちのどれかで被告側が負けていれば、例えば“自決命令”について「家永三郎及び被告らが本件各記述が真実であると信じるについて相当の理由があった」と裁判所が判断していなければ、判決は原告勝訴になっていたわけです。これまた全体を無視してトリヴィアを追及する手法のなせるわざと言えます。まあ、この裁判の主たる争点が「家永三郎及び被告らが本件各記述が真実であると信じるについて相当の理由があった」かどうかであり、その点に被告側が勝利したのだという事実を矮小化して、あたかも誤読が決定的であったかのように見せかけるための意図的なトリックかもしれませんが。


全体的な文脈を無視して立てられた問いはこれだけではありません。例えば安仁屋政昭氏の記述以外に「軍の命令を兵事係が伝えた、とするものがあるのか?」というのもその一つ。そもそも兵事係を含む日本人非戦闘員が居住している地域が戦場になった、というのは沖縄その他の限られたケースです。全国に兵事係はたくさんいても戦場に巻き込まれた兵事係の数は非常に限られている。その限られた数の兵事係や彼らの行動を知る人々のなかにはもちろん死亡者も多数おり、生存者にしてもみながみな積極的に戦争体験を語るわけではない。まして、その証言がすべて電子化されているはずもない。となれば、ネット上に「軍の命令を兵事係が伝えた」という証言がゴロゴロ転がっていると考える方がおかしいわけです。「存在するならネットで見つかる、と想定できるもの」についてならともかく、「存在していてもそうそうネットでは見つからない、と想定すべきもの」について「ない」と主張するなら、それ相応の調べ方があろうというものです。
このエントリでの「そもそも民間人に降伏勧告させる軍隊がどこの国にあったか」という問いもまた、更なる一例です*3。すこし考えれば分かるように、米軍にとっていったん保護した日本人民間人を軍使として派遣することには、「また寝返って米軍の情報を漏らされる」というリスクもあるわけで、なんの理由もないのに住民を送ったはずはありません。そして、日本軍が“圧倒的な戦力差があり、敗北が自明であるどころか撤退できる見込みもない”ような状況でも降伏を許さない軍隊であり、かつそうした規範が相当程度守られていた軍隊であるというところ、米軍からの降伏勧告に応じない部隊が多数あったことにその主たる理由があったこともまた、アジア・太平洋戦争の歴史全体に照らせば直ちに了解できることです。したがって、「沖縄戦における日本軍のように絶望的な状況にありながら、かたくなに降伏を拒否する将兵が多数いた軍隊がどこにあったか」をまず問うたうえでなければ、「そもそも民間人に降伏勧告させる軍隊がどこの国にあったか」という問いは「ミスリード」に他ならないわけです。


同じようなことはまだまだ指摘できるわけですが、自分から「バターン死の行進」に言及した度胸には感心しました。というか、あえて言及してみせることによって自分に好意的な読者に「愛蔵さんは負けてない」と思わせる手法なのかもしれませんが。2年ほど前に、『文藝春秋』に掲載された「バターン死の行進」についてのルポが生存者の元捕虜とサイモン・ウィーゼンタール・センターからの抗議を受けた際、氏が抗議の対象となったルポと抗議文とを照らし合わせることすらせず、「ネット」にある情報を「すこし調べて」みるだけで、政治的に偏向した日本人が情報を伝えたのだからアメリカ側には歪められた情報が伝わった(そして抗議もその歪んだ情報によるものだ)と主張した、という(飽き飽きするほど今回の事例とそっくりな)件については、関連するエントリの一覧を「extra innings」さんのコメント欄に投稿しましたので、ま、週末お暇な方はどうぞ。

*1:http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060627#p2

*2:http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C2047678115/E20060621013358/index.html

*3:ハーグ陸戦条約の解釈に関する疑義については「過下郎日記」さんがすでに指摘されています。