微妙に違和感があるので…

飯大蔵の言いたい事 「反日と反ナチス」

 ナチスを肯定する事は欧米の社会でも、日本でもなされる事ではない。彼らの最大の犯罪はユダヤ人虐殺と言われている?
 ナチスに相対するものは、時代から見て日本軍国主義のはずだ。ユダヤ人虐殺と相対させられているのが南京大虐殺か?しかし、その性格は余りにも違う。
 ナチスが否定される理由は、彼らがヨーロッパの国を侵略したからだと私は思う。日本が行ったのは、各列強が狙っていた中国を侵略し、各列強が支配していた植民地を占領した事だ。これはナチスと違った意味で列強には許しがたい事なのだろう。
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 上に書いたナチスと日本軍国主義の為した事の違いを、大きく受け止めれば、彼らの主張となる。私はその主張を完全には否定しない。
 欧米列強は植民地政策で行った事を正式に謝罪していない。アフリカ人を拉致し奴隷として酷使し殺した事もだ。それに比べれば日本の行った事など、小さい話だ。

そりゃあヨーロッパ各地で数年間にわたって行なわれたことと、元首都とはいえ一都市で、数週間ないし数ヶ月の間に行なわれたこととを比べれば「その性格は余りにも違う」のは当然で。南京大虐殺がシンボルとなっているのは必ずしも日本側の責任ではなく、ヨーロッパの市民が犠牲者となったドイツの犯罪に比べれば、主としてアジアの市民が犠牲者となった日本の犯罪への関心が欧米において低かったこともその一因だろう。しかし15年戦争期に(あるいは日中戦争以降に絞ってもよいが)アジア・太平洋全域で日本が行なったこととをヨーロッパ全域でドイツが行なったことと比較した場合、規模の面でも質の面でも「余りにも違う」とは言えなくなる。それから、「各列強が狙っていた中国」というのも、1930年代にはすでに「狙う」の意味が大きく変わっていたことをふまえておかないと、欧米や中国の認識を理解しそこなうことになるだろう。念のためにつけ加えておくと、第二次世界大戦で殺された非戦闘員の数は、大航海時代以降の奴隷貿易で欧米に連行されたアフリカ人の数よりもおそらくは多い(どちらも正確な推計が困難であるため「おそらくは」という留保は外せないが)。アジア・太平洋戦域に限定しても「ケタが違う」ということなどないのであって、もし一方について多めの推計を採用し他方について控えめな推計を採用すれば、アジア・太平洋戦域での非戦闘員の犠牲者の方が奴隷貿易の(直接の)被害者よりも多くなる。もちろん、このように単純に犠牲者数を比較してすむはなしではないけれど、「小さい話」ではすまない規模の犠牲者が第二次世界大戦では出ている、ということはその惨禍を引き起こした当事国の市民としてふまえておくべきことではないだろうか。


また、植民地支配や奴隷貿易への欧米社会の「反省と謝罪」が十分かと問われればもちろん私も「ノー」と答えるが、例えば奴隷貿易奴隷制については地方政府レベル(ロンドン市やリヴァプール市、アメリカのヴァージニア州メリーランド州など)で「謝罪」や「遺憾」の意を正式に表明していること(「遺憾の意」であればブレア首相も述べているが、「謝罪」じゃないとか「公式か、非公式か」が問題になったあたり、どこかの国の事情とよく似ています)、オーストラリアが過去のアボリジニ政策について公式謝罪したことなどを考えると、欧米の無反省に依拠した弁明が通用しなくなる日もそう遠くはないかもしれない。