「偽」じゃなくて「誤」でしょ

時事通信 2008年5月14日 「原爆犠牲者の偽写真を掲載=実は関東大震災、米兵が洞穴で発見?−仏紙」

 【パリ14日時事】「世界が今まで見たことがなかったヒロシマ」という見出しで、10日付の仏紙ルモンドが載せた1945年8月の広島の原爆犠牲者のものとされる写真2枚が、実は23年9月の関東大震災当時の写真と断定され、14日付同紙が事実上の訂正を出す騒ぎになった。

関東大震災時の写真と知って「原爆の被害を写したもの」と紹介したならともかく、そうでなければ「誤写真」ではあっても「偽写真」ではないでしょ。米軍が原爆の被害の報道に関して検閲をおこなったこと自体も史実だし。
南京事件否定論者のキャンペーンのうちもっとも厄介なのが写真からみのもので、「捏造写真」というフレーズがすっかり一人歩きしてしまっている。南京事件当時の南京で撮られたものでない写真が誤って「南京事件の被害状況を写したもの」として扱われたことがあったのは事実だが、「役者を使ったヤラセ」「合成等の技術を使った捏造写真」と判断せざるを得ないようなものは私が知るかぎりない。
もちろん、歴史上写真の偽造・修正が情報統制のためなどに(あるいは、産経新聞の「月とコウノトリ」写真のように個人的な功名心から)行なわれてきたことは事実だし、また「意図的でない誤り」だから看過してよいということにもならないが、「偽」と「誤」とは概念としては区別されるべきである。


念のため。取材経過についての今後の情報公開次第で「意図的でないにせよあまりに杜撰すぎる誤り」であるとか「やはり意図的な虚偽報道」と言わざるを得なくなる可能性はもちろんある。