「盧溝橋事件70周年によせて」

当ブログの読者の方にはおなじみの永井和・京都大学教授が昨年末に北京大学で行なわれた国際シンポジウム「第2回 北京と京都──中日をつなぐ知の架橋」での発表原稿をご自身のHPで公表しておられます。

内容的には第一次大戦の戦後処理から満州事変、日中戦争を経て太平洋戦争へと至る経緯についてのものですが、たいへんコンパクトながら、例えば日中戦争正当化論者の歴史記述がいかに単純化されたものであるかがよくわかるような記述です。

この複雑にからまりあった四つの反作用の働く場で、第1次世界大戦後の東アジアの国際体制は再編されたが、ワシントン体制と呼ばれるこの体制は、もはや戦前の「近代帝国主義体制」の単純なる復活ではありえなかった。それは次のような三層構造を有していた。基底になるのは戦前からの「近代帝国主義体制」である。ワシントン体制は戦勝国の植民地支配をすべて正当なものとしてそのまま継承した。また、太平洋上の旧ドイツ植民地を国際連盟委任統治領の形式で戦勝国同士で分割した。この体制は植民地の住民にとっては旧態依然たる「近代帝国主義体制」の継続にすぎなかった。ただ、ドイツが中国に有していた権益はすったもんだのあげく中国に返還された。


その上層に中国に関する門戸開放・機会均等主義の相互確認があった(九国条約)。ワシントン体制は戦勝国がすでに戦前に中国に保持していた既得権益と地位をほとんどそのまますべて正当なものとして容認したが、これ以上の中国の分割、つまり新しい「特殊権益」の発生や勢力範囲の設定については原則としてこれを禁止した。また、中国を巨大な不平等条約国として扱い、中国側の条件が整備されたあかつきには、対等条約国として処遇する用意のあることを表明した。この面からいえば、ワシントン体制はアメリカとイギリスの主導による「現状維持」と「経済競争」の体制であり、それを日本が受け入れることで成立した、米・英・日の三国協調体制にほかならなかった。


最後の層は、国際連盟軍縮条約に象徴される国際平和と集団的安全保障システムである。この面で重要なのは、中国が原加盟国として国際連盟に参加したことであり、これ以降は中国の独立と統一を脅かし、その領土と主権を侵害せんとする行為は国際平和に反する侵略行為と見なされるようになる。

満州事変以降の日本の対中政策の正当化は、この「三層構造」のうち「基底」にあるもののみを強調し他の二層を無視ないし軽視することによってのみ可能になるわけです。
なおいくつかの論点については、講演の副題と同じ表題をもつ『日中戦争から世界戦争へ』(思文閣出版)に所収の各論文で詳しく扱われています(目次はこちらを参照)。なお同書に所収の論文「日本軍の華北占領地統治計画について」に基づいて行なわれたシンポジウム発表原稿「日本陸軍華北占領地統治計画について」もやはり永井教授のHP上で公表されています(こちら)。