被爆電車、運転中止

asahi.com 2008年8月6日 「被爆電車の運転を中止 2ちゃんねる爆破予告

 原爆投下時に広島市内で被爆し、今も走り続けている広島電鉄の「被爆電車」の破壊予告がインターネット掲示板2ちゃんねる」に書き込まれ、同社は6日の運行を終日中止した。広島県警偽計業務妨害容疑で捜査している。


 同社によると、5日午後10時26分に「明日の投下時刻に合わせて652号を再起不能な状態にまでやってやる」と書き込まれた。投下時刻は原爆が落とされた午前8時15分を指すとみられ、652号は被爆電車の車両番号。書き込みを見た人が県警に通報し、連絡を受けた同社が6日未明に被爆電車3両を点検したが、異常はなかったという。


 広島電鉄広島市内を中心に主に路面軌道で電車を走らせている。被爆電車は毎日運行され、6日の原爆投下時刻ごろには原爆ドーム前付近を2便が通る予定だった。

まあ1億を越える人間が住むこの社会だからどんな人間がいても不思議はないし、「○○予告」という類型の事件そのものは(あるいは事件化することのないその種の書き込みは)一定の割合で発生しているわけだから、この一件にどれほどの意味づけが可能なのかは慎重に考える必要があろう。ただ、まさに同じ日に「過去の出来事、過去の他人の判断、あなたには何の関係もない」「”現実”を一生懸命生きてる人間から見れば、あなたがたは否定派も肯定派も含めて人間のクズです。今を生きましょう」という書き捨てコメントがあったという符合のせいもあって、やはり背景になにかがあるのだろうか・・・という問いを立てたくなってしまう。すなわち、人が過去を記憶しようとする営みそれ自体が(その記憶の内容以前の問題として)気に入らない、というメンタリティが存在しているのではないか、と。このような「破壊予告」を投稿する人間が同時に「靖国神社で再会して昔を語り合う元将兵や遺族」の姿にも憎悪を抱く・・・というのは十分あり得ることではないかと思う(これはそのような人間像を有意味に描きうるということであって、今回の「犯人」についての予測ではない)。HALTAN氏の奇怪な振る舞いを理解するカギもこのあたりにあったりして。