「戦時中の動物園」展(追記あり)

先日朝日新聞の記事を紹介した大阪・天王寺動物園の「戦時中の動物園」展に行ってまいりました。場所は入り口をはいって直進したところにあるレクチャールーム。天王寺動物園に行ったことのあるひとなら写真で見当がつくかと思います。

ぶっちゃけて言えば(動物園のような施設に)とても潤沢な予算が与えられているわけではない昨今(まして橋下府政下)、動物園の主役たる動物展示の刷新も少しずつしか進んでおらず旧態依然のものも多いのが実情で、お金のかかった展示ではありません。よく言えば手作りの展示ということになると思います。こうした展示を通じて、戦争がどれほど広範囲に影響を及ぼすものであるかを知る機会があることに価値があると思います。
2枚目の写真は会場入り口すぐにある趣旨説明。背景に使われている写真は、「防空演習」に駆り出されたゾウです。内部も写真撮影可(ただしストロボは不可)でしたのでいくつか撮ってきたのですが、展示は24日まで続けられますので、終了してからこのエントリに追記したいと思います。

今日は一つだけ、東京・上野動物園での動物の“処分”を伝える新聞記事のコピーをご紹介します(3枚目の写真。よくみるとルビのない見出しに動物園のスタッフが手書きでルビを書き込んでいるようです。来園者に多い子どもへの配慮ということでしょう)。




このサイズでは読みにくいかもしれませんが、浅草寺の大僧正を導師として法要を営む旨が報じられています。また、最後に紹介されている園長の談話には、「なほ今回処置した猛獣は、平和克復の後はすぐ補充のつく猛獣ばかりです」(旧字を新字になおした)とあります。“処置”にあたって園長の心中が穏やかだったはずはないでしょうし、事態をあまり深刻に見せないための方便なのかもしれませんが、殺害した動物の法要を行う発想と入手の難易度で差別化する発想とが同居しているところに戦争の一面がよくあらわれていると思います。


以下追記(8月25日)
昨日をもって終了した「戦時中の動物園」展ですが、天王寺動物園では引き続き戦時中の動物園に関する資料を収集する意向で、資料提供を呼びかけるチラシを配布していました。ただし提供される資料に対価は支払えない、とのことです。ご自宅、ご実家に古いアルバムや雑誌、新聞のスクラップなどのコレクションのある方は動物園に関連するものがないかどうか、お閑なおりにでも調べてみては如何でしょうか。連絡先は天王寺動植物公園事務所(06-6771-8401)です。

4枚目の写真は天王寺動物園で“処分”された動物のリストです。43年の9月から10月にかけてほとんどの動物が殺されていますが、1頭のホッキョクグマのみ44年の3月に殺害されています。理由は分かりませんが(解説があったのかもしれませんが、そうだとすれば見落としています)。



5枚目は嫌韓厨が舌打ちしそうなエピソードを伝える新聞記事の紹介。淡々と殺害して肉を食べ毛皮を利用するならともかく、「晴れのお召し」「赤襦袢も凛々しく応召」などと潤色しているところがなんとも。
犬については先日ご紹介した飯田進氏が『地獄の日本兵』(新潮新書)で次のようなエピソードを紹介しています。ただし直接の見聞ではなく、歩兵第221連隊の連隊史からの引用です。

 何時頃だったでしょう。北支から連れて来た軍用犬を食う事にしたところ、軍犬兵の渡辺静上等兵は泣いて助命を嘆願します。そこで野豚を追わせて見たが駄目な事が判り、軍犬兵も諦め遂に兵の食糧に消えてしまう有り様で、本当に生き続けるため必死でした
(『地獄の日本兵』、154-155頁からの孫引き)

人間が餓死しそうな状況で犬の助命嘆願などつまらない感傷だ、と思うひともいるのでしょう。しかし注目すべきは、飢えていたその当事者達も軍犬兵の嘆願を無下にあしらってはいないことです。銃後では犬に「お国のために食われろ」と要求するプロパガンダが行なわれていたわけですが、前線の兵士は躊躇いつつ食べたわけです*1。むろん、この「かわいそう」という心理はおそらくは長らく連れ添った犬だからこそ働いたわけで、直ちに普遍性をもつわけではないことに留意する必要もありますが。



6枚目から10枚目までの5枚は、天王寺動物園で“処分”された動物たちの剥製です。




トラにしては小柄に見えるのは剥製にしたためか、もともとこういうサイズだったのか(7枚目)。




これが新聞でも紹介されていたヒョウだと思います(8枚目)。



これまた小柄なライオン(9枚目)。最後はハイエナとホッキョクグマです。



ちなみにこのレクチャールームに展示されている剥製の中には戦中の殺害処分とは関係のない剥製もあります。対英米戦争が始まる前年に死んだチンパンジーのリタの剥製もその一つです。生前は大変な人気者だったそうで、ガスマスクをかぶって戦時プロパガンダに“貢献”しているリタの写真も展示されていました。なお、当ブログの「プロフィール」写真に写っているチンパンジーの像のうち、左手に座っているのがリタです。


11枚目はヒョウの“処分”を担当させられた飼育員とヒョウの写真。右は「戦時中の動物園」展を伝える朝日の記事でも紹介されていたもの。右はネコを飼っている方ならなじみ深い光景でしょう(大きさの違いを無視すれば、ですが)。なお展示の中には動物園が軍、政府の意向に逆らえなかった理由をつづったパネルもありました。

最後は現在の天王寺動物園で飼育されているヒョウの写真です。

*1:ここで、そのようなためらいを保ちつづけることが餓死寸前の戦場で“人間らしく”生きるために必要だったのだ、と言いたい誘惑が存在しますが、それに流されてしまわないことも重要です。ナチの絶滅収容所の被収容者たちが「生きる意欲」を失った者を〈回教徒〉と呼んだこと。そしてそこに「彼らが死んでしまったのはしかたない」と考えてしまう誘惑が存在したように、もはや躊躇う余裕すらなくしてしまった人々が“人間らしさ”を失ったかのように表象してしまう危険性があるからです。言うまでもなく問題なのは、人間をそのような状況へ追い込んだのはなになのか、です。