驚きはしないが……

コメント欄でnessko さんからご教示いただきましたが、例の元空幕長は職務として南京事件否定論を開陳していた可能性がある、とのことです。
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/antena_pt?v=vol726

「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ」といった論文を発表して更迭された田母神俊雄・空幕長(解任後定年退職)が、今年1月に空自熊谷基地(埼玉県)で講話を行なった際、「南京大虐殺というのは、見た人が1人もいない」と政府見解と食い違う発言をした可能性が高いことが、記録とみられる文書からわかった。

現在防衛省は文書の存在を認めていないので、今後の報道に注意する必要はありますが、まあ「こういうことを発言していてもまったく不思議ではない」とは言えるでしょう。「南京大虐殺というのは、見た人が1人もいない」という言い草は現に見かけるものですし。
南京事件否定論を構成する個々の議論のなかには、「それ自体としては間違っていないが、しかし全体の文脈を無視しているので不適切になっている」類いのものから荒唐無稽なもの、明らかな嘘っぱちまでいろいろあるわけですが、「見た人が1人もいない」は最悪の部類に属するものです。まず、大都市およびその周辺で数週間から数ヶ月の間に起こった出来事をすべて、一人で鳥瞰した人間は存在しない。これは当たり前です。しかしそんなことをいえば東京大空襲だってシベリア抑留だって同じことなので、これは「南京大虐殺、と総称される一連の虐殺、略奪、強姦等の個別事例を見た人は1人もいない」という意味に解さざるを得ません。しかしそうすると、これは端的に嘘なんですね。「見た」という証言、「やった」という証言はいくつもあります。公文書による裏づけもあります。もし『週刊金曜日』の報道が正しいなら、公職にある人間が公的な場で平然と嘘っぱち(「新書一冊読めば」直ちに明らかになるデタラメ)を語ったということになります。別に東浩紀のように「自分で調査」してないからわからないなどと逃げる必要はない、明々白々たる事実です。


追記:そうそう、あの『週刊金曜日』ですら「政府見解と食い違う発言」という表現で流してしまってますね。もちろん、ある種の地位にある人間の場合、発言それ自体の当否とは別に「政府見解と食い違う」かどうかが問題になりうる、というのは確かでしょうが。解釈をめぐって争いの余地があるような問題ではなく露骨な嘘っぱちなんだから、そう言えばいいのに。


追記2:書き忘れてた。これも報道が正しければ、という前提つきだが似たようなことをいう人間は現にいるので。

 また、<松井(石根)大将は、南京をオープンシティにしなさい、要するに戦わないと宣言しなさい、どうせ日本軍が勝つから、そうすれば人が死ななくてすむから、と言ったけれど唐生智中国将軍がこれを拒否したのです(後略)>とも語っている。

松井司令官が投降勧告ビラを空から撒かせた、というのは事実です(ただし東京裁判ではその根拠となる文書を提出できず、投降勧告を報じる新聞を証拠として提出しようとするていたらくでしたが)。また、投降勧告を中国側が受諾していれば犠牲者はより少なくなったであろうこと、戦術上の不手際もあり南京を守り切るメドが立つ情勢ではなかったことも確かです。
しかし、です。勝ち目のない決戦をあえてして犠牲者を増やした……ということで非難をするのであれば大日本帝国の指導者たちにも同じ批判があてはまるはずです。東京大空襲や広島・長崎の原爆投下による犠牲はアメリカのせいではなく、ひたすら大日本帝国の指導者たちの責任だというのでしょうか? さらに戦略的なレベルでいえば、大日本帝国の指導者とは違って、蒋介石は最終的には日本との戦争に勝つためのプランをもっていたからこそ、あえて南京の死守という(戦術的には無理のある)判断をしたわけです。これを「市民の命でもって国家の勝利をあがなう」発想だと批判することはできますが、しかしクラスター爆弾は防衛のために有効、と発言した元空幕長にそんな資格はないでしょう。