自己マジレス

「感情を律する」というのがある種の文脈においては、ないしある種の役職にある人間にとっては美徳である、というのは確かでしょう(しかしそれが日本文化に固有の観念だとはまったく思いませんけど)。しかし悲しんでしかるべき時に悲しめない、怒ってしかるべき時に怒れない、喜んでしかるべき時に喜べない……ことの弊害もあるはずです。われわれが住むこの社会は、例えばアジア・太平洋戦争をめぐってこれらの弊害にずいぶんと毒されていると思うのですが。非常に高い自殺の発生率も“感情を律することをよしとする文化”と関係あるんじゃないのかなぁ。大光の脱税事件はまだ全容が明らかになってもいないし法的に決着してもいないので断言は避けますが、偽装請負やら派遣切りをして利益を上げようとする一方で“社長のお友達”には濡れ手で粟の“ビジネス”をさせていた疑惑がある、ってはなしですよね? こういうことがあっても「感情を律する」のがよいのだとして、結局誰が得をするのか? って問題ですよ。他方で、刑事裁判への被害者(遺族)参加制度というのは被害者(遺族)の感情を社会的に認知しようという試みではないのでしょうか? 櫻井よしこが「被告を死刑にしてほしい」と語る被害者遺族をどう思うのか、ほんと聞いてみたいものです。