東京裁判で弁護人が判決に関与?

今朝の朝刊一面に載っていた記事。asahi.comでは見出しが変わっているが。
asahi.com 2009年2月22日 「日本人元弁護人「東京裁判判決文に関与」 61年に証言)(1ページ目魚拓2ページ目魚拓

 第2次世界大戦後、日本の戦争指導者らをさばいた極東国際軍事裁判東京裁判)で、A級戦犯の日本人弁護団の一人が「判決文の作成に携わった」と、1961年に法務省の聞き取り調査に答えていたことが分かった。国立公文書館が聴取書を所蔵していた。具体的な内容は明かしていないが、連合国判事が言い渡した判決文をめぐって被告側の関与が明らかになるのは初めてだ。


 この弁護人は、東京帝国大教授だった高柳賢三氏。鈴木貞一・元企画院総裁(終身刑)の弁護を主に担当した。(中略)
 高柳氏は、B4判7枚ほどの聴取書の中で、弁護方針などを説明した後に「また私は、連合国が判決文を作成するに当(あた)って、その法律面および事実面について点検をして貰(もら)いたいと頼まれてそれをやった」と述べている。
(中略)
 高柳氏は、どの部分の作成に携わったのか、いつ誰に頼まれたのかなどは明らかにしておらず、指摘がどう反映されたのかも分かっていない
(後略)

強調は引用者。この強調部分が示すように現時点ではきわめて漠然としたはなしでしかないが、東京裁判を「アメリカと日本の合作」とする見方を補強するものと言えるのではないか。
朝刊(大阪本社版)では30面に関連記事があり、他の弁護人からの聴取結果も紹介されている。梅津美治郎担当の池田純久弁護人は、首席検事キーナンと47年春に食事をした際、キーナンが自分の任務について「天皇を裁判の証人として出さないこと、および日本の再軍備をやることだ」と話した、と回想しているという。「再軍備」はともかく天皇を被告にしない、証人にもしないという方針のためにキーナンが尽力したことはすでに知られているけれども、「東京裁判史観」がどうたらとか言い続けている人々がどう反応するのか、興味深いニュースだ。