龍谷大が元出陣学徒に聞き取り調査

2月27日の朝日新聞夕刊(大阪本社)に「学徒出陣 龍谷大が聞き取り調査」と題する記事が掲載されている。龍谷大学浄土真宗西本願寺をバックグラウンドにもつ大学。

 龍谷大は学徒出陣についてほとんど調査してこなかったが、ここ数年、出陣した卒業生から「史実を語り継いでほしい」という声が寄せられていた。昨年夏、1941年の在学者から45年の入学者まで延べ3908人を対象に、戸別訪問などを開始した。

大戦後半に若くして出征した人々が調査の対象なので昨年後半でも比較的多くの生存者がおられたと考えてよいのだろうか。大学のみならず、教団として例えばあと10年早く同じようなことをはじめていてくれたら・・・とも思うが。
記事では記者が大学の訪問調査に同行して、元学徒の声を伝えている。とりあげられているのはみな戦後住職となった人ばかりだが、復員後も長い間戦争体験については語らなかった、と口を揃える。「あと10年早く」と思う反面「今だからこそ可能だったのか」という側面があることは否定できないようだ。高射砲隊の指揮官だったという一人の「自分に命があるということに目を向けていなかったから、相手に命があることも気付かなかった」という言葉は示唆に富んでいる。他方、同じ人物が「国のためだと言って大砲を撃ったことが許されるわけではないが、一人一人は脈々と生かされているということを伝え続けたい」(強調引用者)という発言には危うさも感じる。もちろん、この記事における断片的な引用のみから発言者の思想を推しはかるわけにはいくまいが、「(脈々と)生かされている」という発想は反省的に捉え直されない限り容易に「万世一系」「御稜威」というイデオロギーに取り込まれてしまいかねないだろうから。