『もう一つのシベリア抑留 〜韓国・朝鮮人捕虜の60年〜』

NHK教育 4月5日放送 ETV特集 『もう一つのシベリア抑留 〜韓国・朝鮮人捕虜の60年〜』

厳寒の地シベリアに抑留された60余万の日本軍将兵の中に数千人の韓国・朝鮮人がいたことはこれまで語られることはなかった。去年、韓国政府国家記録院がロシアから入手した資料の中から、朝鮮半島出身者3千人の捕虜名簿を発見、それらを取り寄せ急ピッチで捕虜たちの実態調査を進めている。これまでベールに包まれていた彼らの足取りが明らかになり始めた。


現在、元シベリア抑留者は韓国に10数名健在である。彼らは戦後「対日協力者」・「共産ソ連オルグされたアカ」として差別を受け続けてきた。また中国には文革の粛清の嵐を生き延びた数名の朝鮮族の抑留捕虜が暮らしていることが判明した。2006年にようやく名誉が回復した彼らはいま、重い口を開き始めた。


1949年2月から3月にかけて抑留生活を終え、韓国の地にたどり着いた韓国人捕虜たち。それから60年目の今年2月の終わりに、ソウル市内で記念集会と展示が、38度線近くで慰霊祭が行われた。


知られざる韓国・朝鮮人シベリア抑留者。彼らはいかに日本の戦争に巻き込まれ、どのような抑留生活を送ったのか。解放後も、冷戦が激化し祖国が分断されるなかで、彼らはどのような苦難の道を歩んだのか。


祖国に戻り60年になる生存者の証言と新たに見つかった資料からその実態を探る。
(http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2009/0405.html)

朝鮮半島の青年たちが軍事的に動員されてゆく過程、軍人としての教育、対ソ戦線の崩壊、シベリア抑留、帰国後の苦難が描かれる。生存者の一人イ・ビョンジュさんはまた、日本軍の将校が居留民に「集団自決」を命じる場面を直接目撃した、とも証言している。
韓国・朝鮮人(あるいは中国の朝鮮族)元抑留者が戦後に経験した苦難は日本政府にのみ帰責しうるものでないことは確かだが、日本軍に動員されなければあり得なかった苦難であることもまた確かである。さて、橋下大阪府知事の「せめて日本にいる北朝鮮の皆さんが声を上げて、今の体制を変更するように運動を起こしてもらいたい」という発言が反響を呼んでいる。法的には「朝鮮籍」は北朝鮮とは無関係で(国交がないから当然だ)、また「韓国籍」を選ばなかった理由も一通りではないのだから、「日本にいる北朝鮮の皆さん」というくくり方は府政のトップにある者の発言としては極めてずさんだし、また buyobuyoさんの指摘も当然であろう。しかし(これまた buyobuyoさんが言う通り)この発言が一定の妥当性をもつ文脈がないとまでは言えまい。ただその場合、かつて「日本人」として軍事的に動員した人々の戦後についてこの社会がどれだけ考えてきたのか、どれだけ「声を上げて」きたのかが、反射的*1に問われるはずである。

*1:脊髄反射」の反射ではなく。