「ゴボウ」伝説、再び

関連エントリ
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060828/p1
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060901/p2
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060907/p1
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071227/p1


こちらにコメントしたのだが後述するような事情で掲載される見込みがないのでエントリを立てることにした。直接問題にしたのはここでの gameover1001氏の次のような記述だ。

戦後の日本人BC級戦犯の裁判記録を読んでいると、こういう些細な誤解が時にいかに重大な結果を引き起こすか、よくわかります。


わっしは、「死の行進」で弱りきったアメリカ兵になけなしのキンピラゴボウを分け与えたせいで戦犯として死刑を言い渡された日本兵のところまで読んで活字が涙でにじんで読めなくなる。


その簡単すぎる裁判記録から浮かび上がってくるのは、見るに見かねて敵兵に親切にしようと考えた若い日本兵の緊張と照れからくる強張った顔と突っ慳貪な態度であって、若い弱りきったアメリカ人の胸に突き倒すような勢いで自分の乏しい昼食を押しつける日本の誠実な若者の姿です。


しかし、日本人の「牛蒡」を食べる習慣を想像することも出来ず、そんな怖い顔で親切にするひとびとの習慣を知らないアメリカ兵は、自分が弱りきっているのを嘲笑するために「こともあろうに木の根っこを口に入れる」ことを強要されたのだ、と受け取ったのでした。


彼は、戦時中に受けた屈辱を法廷で晴らしたいと考えた。


結果は残酷で許し難い捕虜虐待であるという判決でした。


この若い日本の兵隊は自分の善意というものを、どれほど呪ったことでしょう。

結論を先に言えば、そのような「裁判記録」など99%存在しない、と私は思う。そもそも「バターン死の行進」の過程でほんのちょっと接触しただけの兵士を戦後になって特定できたというのが極めて疑わしいし*1、4ヶ月以上もフィリピンで戦っていた第14軍の兵士が「キンピラゴボウ」をもっていたというのも同様だ。「死の行進」ではより深刻な虐待や殺害の事例もあったのに、「キンピラゴボウ」が立件され、まして死刑になったというのはちょっと信じがたいはなしである。とりあえず利用できた資料として巣鴨法務委員会編の『戦犯裁判の実相』(復刻版)で横浜法廷とフィリピン法廷の事件一覧をあたってみたが、そもそも「バターン死の行進」に関係して訴追された兵士の事例自体を発見できなかった(私の見落としがあった可能性は否定しない)。上海法廷については東湖ライブラリィ刊の『史実記録 戦争裁判』シリーズの一覧表をあたったが同様。グアム法廷では「三一件の起訴事案のうち十二件が米航空機搭乗員殺害、七件がスパイ容疑による殺害、捕虜虐殺四件」とのことなので(田中宏巳、『BC級戦犯』、ちくま新書)、「キンピラゴボウ」の件は含まれていないことになる。『BC級戦犯裁判』(林博史岩波新書)は米軍資料に依拠してこれとは違う数字を挙げているが、米海軍によるグアム裁判では「グアム刑法が適用され」たとのことなので、「キンピラゴボウ」を食わせて死刑になることなどあり得ない。
最も多くの戦犯が裁かれた米軍の裁判は横浜裁判だが、こちらは捕虜収容所に収容された捕虜の虐待、殺害事件が中心である。そして元捕虜が「ゴボウ」を食べさせられたことを虐待の一例として訴えた事実そのものはあったと思われる、ということは冒頭に挙げた関連エントリでも述べた通り*2。ただし、ここで注意を要するのは次の2点。まず戦時国際法に反する捕虜の処遇(さらに言えば日本軍自身の定めた規定にも反していたのだが)という大問題があり、その大問題を構成する中問題として与えられた食料が質・量ともに不十分であったことがあり、ゴボウやこんにゃくの一件はその中問題を構成する小問題に過ぎないということだ。第二に、横浜裁判の判決には判決理由が付されていないこと(横浜弁護士会BC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会、『法廷の星条旗 BC級戦犯横浜裁判の記録』、37ページ)。したがって、死刑判決を受けたケースの起訴状なり検察側の証書が「ごぼう」に言及していたとしても、それが有罪の判断および量刑の判断にどの程度影響したかは実は分からないのである。ただただ「ごぼう」の一件でのみ立件されたというのでない限り。そもそも「ごぼう」の一件でのみ立件されたなどということは考えがたいし、「お灸」が虐待であると主張されたケースで針灸師を証人として出廷させその証言を聴取した法廷がそれだけの訴因で死刑判決を下した、などということはさらに考えがたい。
(「日本兵」を文字通りに将校でも下士官でもない兵士と理解すれば、さらにガセである確率は高くなる。戦後の戦犯裁判で死刑になった二等兵は存在せず、兵長13人、上等兵10人、一等兵2人が全戦犯裁判を通じた兵士の死刑数である(巣鴨遺書編纂会編、『世紀の遺書』のデータを『BC級戦犯裁判』から孫引き)。わずか25人の中に「キンピラゴボウを食べさせただけで死刑」になった兵士がいるなどということは、およそ考えがたい。)
だいたい、もし本当にそんな事例があったのであれば、これまでにとりあげられていなければおかしい(それこそ右派が鬼の首を取ったようにふれ回るはずである)。BC級戦犯裁判については人並み以上には文献をあたったと思っているが、そんな事例にはお目にかかったことがない。とはいえ、すべての裁判記録に直接あたって確認したわけではないから「99%」という留保をつけたわけである。


というわけで、上で引用した記述の根拠となる「記録」がなんであるかを問い合わせるコメントをしたのだが、 gameover1001氏には返答する意志がないとのことである。次のような記述に対する私のブクマコメントが「失礼」で「無礼」だからだそうだ。

ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした。


「なんか新しい公団住宅みたいな墓苑にすればいーんでない?」


そーゆーのをゴツゴーシュギというんじゃ、ボケ。

「失礼」で「無礼」なのはどちらだろうか? 靖国神社という極めてセンシティヴな話題について、こんなでたらめを放言するのはgameover1001氏の感覚では礼儀にかなった振る舞いなのだろうか? 戦後(46年以降)の日本では靖国神社は一貫して単なる宗教法人であり、公的な戦没者慰霊施設であったことなどそもそもなかった(だからこそ公的な装いをまとわせることを狙って首相に靖国神社を参拝させようとする勢力があるわけだ)。靖国神社という宗教法人をつぶしてしまえ、などという主張は少なくとも影響力のあるものとしては存在していない。この手の矮小化にはもううんざりしてるんだよ。千鳥ケ淵戦没者墓苑を拡充して無宗教戦没者追悼施設にしようとする案を指して「なんか新しい公団住宅みたいな墓苑」と呼んでいるのだとすると、それは千鳥ケ淵戦没者墓苑に埋葬されている(法的には埋葬ではないそうだが)身元の判明しなかった兵士への「無礼」にはならないのか?

*1:本間中将は第14軍の司令官だったから特定可能だった。

*2:考えられる一つの可能性は、「バターン死の行進」の生存者が後に日本国内の収容所に送られ、そこでゴボウを食べさせられたケースを「死の行進」中のことと勘違いした、というものだろう(もっとも、私は「故意」も疑っているが)。フィリピンで捕虜になった米軍兵士がどの収容所に送られたかが分かれば、もう少し絞り込むことができるのだが。ADBCの代表だったレスター・テニー氏の回想記には該当する逸話は登場しない。