どんな関連が?

日付を一日先取りして書いております(8月22日)。

「菅談話」によってまた、亡霊が動き出した。現在進行形だから生霊というべきか。多くの国民が知らないまま、長年、巨額の血税がつぎ込まれてきた、「サハリン残留韓国人問題」への“デタラメ人道支援”のことである。

という書き出しではじまるこの記事なんですが、驚くべきことに(嘘。実は驚いてない)これ以降「菅談話」は全く話題になっていません。すなわち“デタラメ人道支援”と「菅談話」の関連などなに一つ指摘されていないのです。“新たに支援を要求された事例”として唯一具体的に挙げられているのは「3年前」のことです。あれ? 3年前って自公政権時代ですよね? まさか安倍内閣当時じゃないでしょうね? まったく、羊頭狗肉どころか看板だけで店内には狗肉すらありません。まさに死霊の裸踊りのような記事。要するに菅談話に対して「元慰安婦への言及がない」と並び「サハリン残留韓国(朝鮮)人への言及がない」という批判があることを受けての記事であるわけですが、それって談話が発表されたから出てきた批判ではなく、逆に語られなかったことについての批判ですからね。
もっとも、先の首相談話によって「新たな補償要求の声が上がるのではないか?」といったことを懸念していた人は少なからずいました。しかし、私にはこの懸念がまるで理解できません。まず第一に、(個人)補償を要求する運動はすでに以前からあり、日本はそれを頑としてはねつけてきたわけです。いまさらなにを心配しているのか、と皮肉りたくなります。しかしそれ以上に、彼らは首相がなんのメッセージも発しなかった場合にどうなっていたと想定しているのでしょうか? 日本の首相が植民地支配について発言しなかったとしたら、韓国(および北朝鮮)の市民は今年が日韓併合100年にあたることを失念し、植民地支配に由来する被害について失念していただろう……とでも考えているのでしょうか? 仮に、今後日本政府に対して補償を求める訴訟などが提起されたとして、その原告は「菅談話」さえなければ訴訟を思いつかなかっただろう……とでも考えているのでしょうか? 逆に首相がだんまりを決め込んだがゆえに補償を請求する運動が盛り上がる可能性については考えてみたことがないのでしょうか?