「青い目の少年兵」雑感

8月11日にNHKの「ニュースウォッチ9」でとりあげられたエピソードをドラマ化した『青い目の少年兵』が13日深夜(14日未明)に NHK BSプレミアムで放送されていたのを録画して最初の3分の1ほどを観ました。ドラマを論評するにはドキュメンタリーとは違った視点やテクニックが必要になりますのでこのブログでは滅多にとりあげないのですが、一つ気になったことがあるので。
最初の3分の1を観た限りでは、日本軍の捕虜をむやみに殺害する悪弊や朝鮮人慰安婦の存在が描かれていて、単純な戦争美談として消費されることへの予防線はいちおう張られていたと評価できるでしょう。しかしながら、ドラマの冒頭で「これは日中戦争で戦った藤井大典さんの記憶に基づく物語である」という但し書きがテロップで表示された点はさらに重要だと思われます。NHKの取材班はもう一方の当事者である中国人元少年兵(ロブシンさん)を探し当ててはいませんので、「ニュースウォッチ9」での報道にせよ『青い目の少年兵』にせよあくまで元日本兵のパースペクティヴからみたストーリーでしかありません。もちろん、藤井さんたちがロブシンさんを“可愛がった”というのは主観的には真実だろうと思いますし、当時の日本軍の水準に照らせば客観的に言ってもできる限りよい扱いをしようとしたことを疑うべき理由はありません。「敵国の子どもを可愛がった」という逸話は第二次世界大戦に限っても各戦線で見受けられるものですから。しかしこうした逸話は、旧宗主国の国民が植民地での生活を想起する時にもしばしば見受けられるものです。私は現地の子どもを可愛がった、と。私の一方の祖父母は旧植民地からの引き上げ組ですが、祖母の方がまさにこうした仕方で植民地での生活を懐かしむタイプでした。
しかしながら宗主国の人間と植民地の人間の間に単純な「可愛がる/可愛がられる」という関係がそう簡単に成立するものでしょうか。立場を逆にして考えれば、占領軍の米兵に親切にされチョコレートをもらった日本人の子どもの心の片隅に屈辱感があったことを想像するのは容易でしょう。『青い目の少年兵』のエピソードの場合も一方は大人の武装集団であり、他方は丸腰の子どもであるわけです。戦略的にはすでに日本が劣勢であったとはいえ、子どもの視点から見れば日本軍は自らの生殺与奪の権を握っている存在です。こうした関係を戦後にロブシンさんがどう受容したかを推定することは容易ではありません。彼の体験が周囲に知られたのかどうか、知られたとしてどのように扱われたのかによっても事情は変わってくるでしょう。対日協力者として糾弾された可能性だって否定できません。藤井さん個人に突きつけるには酷なことではあるかもしれませんが、視聴者としてはロブシンさんが抱いていたかもしれない複雑な心境にも想像力を及ばせることが必要でしょう。