「25年の轍:加害、教えると「反日」」について

今年の1月に行なわれた日教組の教研集会で発表された授業実践が右派の攻撃にあった(その一例)ことは記憶に新しいところですが、4月28日の朝日新聞が「「みる・きく・はなす」はいま 25年の轍:1 加害、教えると「反日」」と題する記事でこの件をとりあげています。しかしどうも隔靴掻痒の感を拭えません。
例えば先に挙げた産経の記事では「日中戦争の南京戦で報道された日本軍の“百人斬(き)り”を事実と断定して中学生に教える教育実践」(強調引用者)とされているわけですが、朝日の記事では次のように紹介されています。

(……)日中戦争時に報道された「百人斬り競争」の新聞記事を中学校の授業で扱った。南京へ向かうふたりの将校がどちらが早く100人を斬るか競争中だという、当時の記事を見せた。
 「今の世の中で一番してはいけないことはなに?」
 「人を殺すこと」
 「そうだね。でも戦争になると、人を殺すことは良いことになってしまう」
 「百人斬り」については諸説ある。ただ、国民が称賛し、英雄視した風潮を伝えようとした。
 授業では、アウシュビッツの大虐殺や、多くのユダヤ人を救った杉原千畝(ちうね)、被爆者など幅広いテーマから戦争の悲惨さを考えた。

これを読む限りでは「“百人斬(き)り”を事実と断定」とはとうてい思えません。ところが、記事は同時に「慎重さに欠けた面もあった」ともしています。おそらくこれはこの教師の述懐を伝えているのだと思われますが、いったいどういうところが「慎重さに欠けた」というのかさっぱりわからないまま、この教師も授業内容に問題があったことを認めたかのような記事になってしまっています。町教委が文書訓告にした理由が「議論が分かれる話題を一方の立場から教えたのは不適切」というものだったことも紹介されていますが、この処分理由が妥当かどうかもこの記事からは判断できないわけです。「百人斬り」報道があったこと自体は「議論が分かれる話題」ではないのですから、「国民が称賛し、英雄視した風潮を伝えようとした」のであれば「議論が分かれる話題を一方の立場から教えた」とは言えないはずですが。