「同等」とはなにか?

米パセリーズ・パーク市の「慰安婦」碑をめぐって、碑を支持し日本側の撤去要請を批判する新聞広告(5月29日、NYタイムズ)についてこもりんが自身のブログでエントリを書いています。
日本の右派が主張し国際社会から跳ね返された論法の繰り返しばかりで論評に値しないのですが、一点だけ、その広告に固有の論点があるので言及しておきます。

ごく簡単に考えても、この記述には以下の重大な間違いがあります。

(1)ナチス・ドイツユダヤ民族600万人を虐殺したことを日本の「慰安婦」問題と同等にみなしている。

ごく簡単に考えても、この記述には以下の重大な間違いがあります。
(1)新聞広告が比較しようとしているのはホロコーストと従軍「慰安婦」制度ではなく、それぞれについての(西)ドイツ政府(ないしその政治指導者)と日本政府(ないしその政治指導者)との態度である。
(2)「同等」とはどのようなことを意味するのかが曖昧で、その曖昧さにつけ込んだ詭弁である。
そもそも一人一人の被害者にとって、ホロコーストと従軍「慰安婦」制度が「同等」であるかどうかという問い自体がナンセンスです。各人が被った被害が比較を絶し比較を拒絶するものであることは言うまでもありません。しかし逆説的に言えば、被害者一人一人の苦しみはまさに「比較不能」であるという点で「同等」であるとも言えます。
一方、もちろん二つの歴史的出来事を比較することは常に可能です。その比較がどれほど有意義であるかは何と何を、どのような関心にもとづいて比較するかによりますが。ホロコーストと従軍「慰安婦」制度とでは犠牲者の数に大きな違いがあること、前者が(ある時期以降)ユダヤ人の抹殺それ自体を志向するようになったのに対して後者はそうではないこと……などはこれらの問題に多少なりとも関心をもっている人間であれば当然わきまえている違いです。しかし両者は共に国家が組織的に遂行したものであること、人間の尊厳に対する重大な挑戦であること、従軍「慰安婦」制度が東京裁判できちんと裁かれたとすれば「人道に対する罪」が適用されたであろうこと、などは両者の明確な共通点です。
さらにホロコーストは20世紀後半の知的世界(人文・社会科学を中心に)に多大な影響を与えましたが、従軍「慰安婦」制度に代表される戦時性暴力も(ホロコーストに比べればずいぶんと遅れて、ではありますが)21世紀を生きるわれわれに対して多くの問いを投げかけるものです。