「金が目的で実際大金稼いだ人もいた」論法について
昨晩、珍しくツイッターで「慰安婦」問題否認論者の相手をしていてつらつら思ったことをば。
例えば全校生徒の10人に1人が深刻なイジメの被害を受けている学校があったとして、そこの校長が「いや、10人中9人は安全に学校生活を送っているんです、イジメ被害者だけをとりあげないでください」などと発言したら、どうなるだろうか。マスメディアは、被害者の苦しみを報道するだけではなく、9割の生徒のウキウキ学園生活も報じるべきなのだろうか?
あるいは、受刑者の10人に1人が刑務官から虐待(性的虐待含む)を受けている刑務所があったとして、マスメディアの報道は一々「なお、大多数の受刑者は虐待を受けていません」などと付け加えなければならないものだろうか? 法務大臣が「彼らはしょせん犯罪者ですから」などと発言したら、更迭されて当然ではないだろうか?
元「慰安婦」のうちで、自らの体験を深刻な被害体験として記憶している人々とそうでない人々の正確な比率がいかほどであるかは、もはや知る術もない。しかし前者が極めて希な例外であるとはとうてい言えない、ということはこれまでに蓄積された知見からして間違いのないところである(これでもずいぶんと控えめな言い方だが)。だとすれば、「慰安所」制度についての歴史的な評価にしても、マスコミの扱いにしても、まずは深刻な被害を訴える人々を重視すべきなのは当然であろう。にもかかわらず、「いや、いじめに遭ってない生徒だっているんです」といいわけする校長を演じているのが「慰安婦」問題否認論者なのである。