我田引水しても水は低きから高きへは流れない

問題の山川の「日本史A」がトータルでどのような記述になっているのかわかりませんので立ち入ったコメントはしません。教科書というのは限られた字数の中でなにを盛り込み、なにを切り捨てるのかについてとりわけシビアな判断が迫られる出版物だと思いますが、この執筆者がどのような選択をしたのか、機会があれば検証してみたいと思います。朝日新聞の用語解説のような大惨事になっていなければいいのですが。
以下は産経の報道について。

国内では「大虐殺派」が主流だったが、過去十数年の研究では「事件否定派」と「中間派」が勢いを増している。

そもそも「過去十数年」間に、右派論壇はともかくアカデミズムにおいて南京事件がホットな研究イシューになったなどというはなしは聞いたことがありません。また「過去十数年」の期間に公になった史料としてはラーベの日記が代表的存在ですが、これは否定派の破綻を改めて印象づけるものではあっても、「大虐殺派」か「中間派」かいずれか一方に有利に働くようなものではありません。もちろん、河村たかしが辞職せずにすんだように、否定論批判派が政治的に退潮していることは率直に認めねばならないでしょうが、それは「研究」とは別のはなしです。
その証拠に、記事の後半で列挙されている「虐殺はなかったとする「事件否定派」の過去十数年の研究」なるものは、みなさんおなじみの使い古されたものばかりです。番号を振って特筆している「研究」のひとつが「南京の人口は日本軍占領前が20万人、占領1カ月後が25万人だった」というのですから、程度が知れるというものです。