否定派の「慰安婦問題」観

ツイッターで少しばかりやりとりした「慰安婦」問題否認論者がこんなものを持ち出してきました。
http://www.sns-freejapan.jp/2012/06/01/1552/
「崔三然」でググってみると右派が重宝している人物であることがわかります。それはさておき、当ブログの読者にとって崔三然氏の日本軍「慰安所」制度に対する見解がとるに足らないものであることは自明でしょう。というのも、紹介されている経歴から判断する限り、崔三然氏は(1)「慰安所」制度について(マクロにであれミクロにであれ)よく知りうる立場にはおらず(なにしろ戦地で「慰安所」を実際に目撃したことすらないわけです)、かといって(2)「慰安所」制度について多くの史料や証言をもとに調べたわけでもないからです。軍医や主計将校として慰安所の運営に関与したとか軍司令部に勤務していたといった人物の語ることであれば、その証言を無視することはできません。皇軍を美化したり保身のために嘘をつく動機があること、記憶に誤りがある可能性などは当然考慮しますが(現に、大勲位は嘘をつきました)。秦郁彦氏が批判されることはあっても無視されない、というのは彼が史料や証言に彼なりに依拠して自説を展開しているからです。
もし彼が日本人だったとしたら、否認論者ですらこのような経歴の持ち主を担ぎだすことで日本軍の責任を否定できるとは考えないでしょう。そう、否認論者にとっては、これが韓国人による発言であることが(そしてそれだけが)大きな意味をもっているのです。
私たちが「この人物の証言、主張に耳を傾ける必要があるかどうか」を判断する時には、「この人物は慰安所制度についてどれくらい知りうる立場にいたのか」「慰安所制度についてどれくらいよく調べたのか」が基準になります。「慰安所」制度についてよく知っているわけでもなくよく調べたわけでもない人物の言うことは「根拠のない私見」に過ぎないわけですから、史実を知ろうとするうえで何の意味も持たないわけです。肝心なのは発言者の国籍ではなく、発言者がどのような根拠をもっているか、です。史実に関心があるなら、崔三然氏の発言に何の価値もないことは明白です。しかし否認論者は「慰安婦」問題を日韓の「情報戦」だと考えていますから、どれほど無根拠な否認論であっても韓国人がそれを口にするなら、極めて高い価値があると考えるわけです。
このような発言に価値があると思うことができるという事実は、否認論者が「慰安婦」問題をどのように認知しているかを明らかにしている、というわけです。