ただ「表現の自由」だけではなく

アン・セホン(安世鴻)の写真展を巡っては、何人かの写真家やジャーナリスト、映像作家などが声をあげたわけだが、ニコンへの抗議はもっぱら「表現の自由」「言論の自由」という観点からなされていたように見受けられる(例えばこちら。リンク先PDF)。彼ら/彼女らの立場からして「表現の自由」「言論の自由」が主たる関心事になるのは当然と言えば当然であろう。
だが私たちは、今回の問題が必ずしも「表現の自由」一般への攻撃ではなかったという点にも留意する必要があろう。問題の核心は、あくまで日本軍「慰安所」制度による人権侵害を可視化しようとする試みに対する攻撃、というところにある。「慰安婦」問題へのとりくみは「歴史修正主義者・二次加害者に好き勝手言わせない」ことを重要な目標とするのだから、「表現の自由(を守る)」という定式化の射程には収まりきらないのである。