「河野談話」をめぐる初期報道について

今日、8月4日は「河野談話」が発表されて20年目の日です。ご承知の通り、この20年間日本の右派が「河野談話」に対して続けてきた、恐ろしく稚拙だが粘り強い攻撃は、残念ながら相当な効果を発揮しています。真面目に「河野談話」を読んでいればおよそ言い出せないような言いがかりであることは従来当ブログでも示してきた通りです。今回は談話が発表された翌日、すなわち1993年8月5日の朝日、日経、読売3紙の報道によって、当時における「河野談話」の評価を振り返ってみたいと思います。
まずは朝日新聞。1面トップの他2面(含社説)、3面、社会面×2の5ページに関連記事が掲載されています。

談話の中身についての紹介はごく常識的なもので、ふつうに読めばこの談話の「慰安所制度」認識が、(1)「官憲等が直接」強制連行に関わったケースもあるが(2)多くは「斡旋業者ら」が募集したケースで、(3)強制の手段としても直接的な暴力だけでなく「甘言」「畏怖」を利用したものが多数あり、さらに(4)募集段階だけでなく「移送、管理」などの段階でも強制性があった……というものだとわかります。また、この認識はこの20年間の研究調査の蓄積に照らしてもおおむね正確なもので*1、撤回する必要などまったくないものです。

社説、「河野談話」の全文、そして韓国側の反応を伝える記事です。

「談話」の背景分析と今後の課題についての記事。「談話」の認めた「強制」性が募集段階だけの問題ではないことはここでも明らかにされています。また、注目すべきは次の一節です。

 〈徴集〉方法については、昨夏時点では、政府はほとんど触れていなかった。しかし、オランダ人女性を軍が強制的に慰安婦にしていたことに対する軍事裁判の資料が明らかになった。(後略)

「強制」性の認定が―歴史修正主義者たちのばらまいているデマに反して―「元慰安婦らの証言」だけでなく、軍事裁判の資料にも依拠していることが指摘されています。なお、その後の20年間で中国やフィリピンにおける旧軍の性暴力についての調査研究が進んでおり、その成果に照らすなら「談話」のこの部分は「控え目すぎる」という批判こそあり得ても撤回の必要などさらさらありません。


元「慰安婦」やその支援者、研究者らの反応を伝える記事。「談話」への不満として「強制連行」という明確な表現が用いられていないことと補償に言及していないことが挙げられています。河野談話によって国際社会が「強制連行があったのか!」と思ったどころか、「明確に強制連行を認めていない」という不満を抱く当事者や関係者もいたわけです。なお「戦争責任資料センター」のコメントとしては、日本軍の関与、募集および慰安所での生活の強制性、女性の尊厳の毀損の3点を認めたことは評価できる、とされています。識者コメントは吉見義明、西野留美子、高崎宗司の3氏。順に“内容面は一応の評価、しかし資料調査は不十分”、“真相究明にはほど遠い、敗戦後の放置も「強制」の一部だ”、“真の和解の礎となる”という趣旨で、賛否のバランスをとったものとなっています。
「苦心の末「強制」盛る」と見出しのついた記事では「総じて」という表現をめぐる政府内部の駆け引きや官邸サイドが聞き取り調査を急いだ事情などが報じられています。今日の観点から興味深いのは、「強制」性の認定をめぐり「親に売られた人やもともと花街にいた人を考え、なおためらったが」という一節です。「誰が女を売春婦にしたか、こそが問題だ」とする差別的な認識が当時の日本政府内部にあったことがうかがえます*2


次いで日本経済新聞誰でも予想する通り3紙の中では一番簡単な扱いですが、それでも1面、国際面、社会面の3ページで扱っています。(→補足と訂正

慰安婦の募集、移送、管理について旧日本軍が強制した事実を初めて公式に認めた」と、「強制」性の焦点が「募集」だけでないことが明記されています。その他、「河野談話」の紹介として特に問題になる―読売社説が「誤解」と呼ぶようなものを招くような―点はありません。

韓国政府はおおむね好意的な評価、韓国マスコミの評価は分かれており、挺対協は批判的、という記事。韓国以外の国々の反応も紹介されています。

「談話」の要旨とともに「政府の調査報告書の概要」も掲載されていて、「談話」がどのような調査に基づいて出されたものであるかがわかりやすくなっています。同時に発表された資料中に「バタビア臨時軍法会議の記録」が含まれていることが記事中で指摘され、元「慰安婦」らの証言だけが「強制」性認定の根拠でないことが明確にされています。


最後に読売新聞です。1面、3面(含社説)、解説面、社会面の4ページで扱っています。朝日と日経の中間というところがなんともわかりやすいです(前出「補足と訂正」をご参照下さい)。

一面の見出しに「強制連行」と打っているのは読売だけです。朝日と日経は「強制」としています。「河野談話」の内容に照らせば朝日と日経の方がより正確にニュアンスを伝えていると言えるでしょう(そもそも、「河野談話」に「強制連行」という文言はありませんし)。なんのことはない、「河野談話」から「強制連行」を焦点化しているのは他ならぬ読売新聞だったわけです。
ただし、記事の中身についてはこれといった問題はありません。当事者らからの聴き取りだけでなく「防衛庁など関係官庁や米国の国立公文書館などから新たに見つかった約百点の資料」も踏まえた談話であることが指摘されています。韓国政府が前向きな評価、支援団体は批判的……、というまとめ方も日経とよく似ています。

「談話」を「未来志向」の観点から評価する記事、「談話」全文と「調査報告書」の要旨、および社説です。「(……)国際社会での発言力を増そうという日本にとって、アジアでの「過去」に句読点を打つことは不可欠」「広範な地域の女性が被害を受けた従軍慰安婦問題の解決はその中でも最も重要な課題の一つだ」といった記述は、保守紙の書くものとしては「まあそんなところだろう」と十分に理解できるものです。また、「今回、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)に対しては、国交がないとはいえ、一切配慮されておらず、将来の課題となった」という、実に良識的な指摘があることは特筆に値します。
社説では「談話」を次のように評しています。

 政府は慰安婦をめぐり、広い意味での「強制性」を認めたことになる。
 (……)
 広い意味とはいえ、「強制性」があった以上、その意に反して慰安婦とされた女性たちの苦痛と恥辱は計りしれまい。彼女たちの名誉回復のためにも、事実を公表したのは当然のことだ。
 河野官房長官が「心からのお詫(わ)び」と反省」の意を表明したのも当然だ。

先日の読売新聞の社説とはずいぶんと論調が違いますね。もっとも、読売らしさが現れている箇所もあります。

 今回の調査は韓国側の意向に沿う形になった。しかし、「強制性」については、日本国内になお、さまざまな反論があるのも事実だ。政府は引き続き、慰安婦をめぐる真相の全容を明らかにする努力をすべきだ。説得力のある客観的資料や証言をできるだけ広く集めるのが基本だ。

読売が求めるこの「努力」を日本政府は過去20年間怠り続けてきましたが、研究者や市民活動家らの努力により「客観的資料や証言」は収集され分析されてきました。その結果、狭い意味での―軍官憲による、直接的な暴力や脅迫による、という二重に狭い意味での―強制連行「も」行なわれていたことはいっそう明らかになってきています(このエントリなどを参照)。現在の読売新聞が、一体なにを不満に思っているのかさっぱりわかりませんねぇ。
なお、社説の「河野談話」理解は過度に「強制連行」に焦点化していない、という意味で正確なものだということができます。

この解説記事にはなかなか興味深い一節があります。

 また、同じ「強制」という言葉でも、日本と韓国では解釈の違うこともわかった。
 民間業者による元慰安婦の募集(徴用)の実態は、①力ずくで無理矢理連れていかれた②言葉巧みにだまされた③ある程度の自由意志はあったが、仕方なく応じた―などと、程度に応じて分類できる。日本では、旧軍人らが①のみを強制連行としたいのに対し、韓国側は広く、②と③も当然、強制性があると訴えたのである。

これがわかっていて、なんでいまさら「強制連行」をめぐってぐちゃぐちゃ言うのか、さっぱり理解ができません。もし「語義」をめぐって争いがあるというのなら、被害者サイドの解釈によりいっそう配慮すべきなのは当然ですし、今日の国際社会の理解も②と③を「強制」に含むものとして成立しています。にもかかわらず「①のみが強制なり!」とのオレ様定義に勝手に執着して「強制連行を認めたのはけしからん!」と噴き上がっているのが日本の右派であるわけです。

日経の社会面の記事が談話について「強制連行行なわれたことを認めるなど」(強調は引用者)とし、朝日は5ページにわたる記事の中でただの一度も“談話が強制連行を認めた”とは述べていないのに対し、読売はここでも「政府は四日、従軍慰安婦問題について強制連行を認める調査結果を発表した」としています。3紙のうちで「強制連行」をもっとも強く焦点化しているのが朝日ではなく読売である、という事実は強調しておく価値があるでしょう。
記事の内容は「日本の戦争責任資料センター」のコメント、元「慰安婦」の訴訟代理人高木弁護士のコメント、そして識者コメントとして福島瑞穂、吉見義明両氏のものが紹介されています。朝日に比べるとやや批判的な、それもいわゆる左派的な観点からの批判的コメントに寄せた構成になっている点も興味深いです。

*1:地域や時期による多様性に十分注意を払っていない、といった問題を指摘することはできます。

*2:最終的にはそうした抵抗を排して「強制」性を認定したわけですから、この当時の日本政府の人権感覚は現在よりはマシだったとも言えます。この注、追記