これが21世紀の「進歩的文化人」(by 西尾幹二)だっ!

昨日発表された朝日新聞三者委員会の報告書。私のTLは北岡伸一担当部分の話題で持ちきり、といった感じです。

吉田証言が怪しいということは、よく読めば分かることである。従軍慰安婦と挺身隊との混同も、両者が概念として違うことは千田氏の著書においてすら明らかだし、 支度金等の額も全然違うから、ありえない間違いである。こうした初歩的な誤りを犯し、しかもそれを長く訂正しなかった責任は大きい。
類似したケースはいわゆる「百人切り」問題である。戦争中の兵士が、勝手に行動 できるのか、「審判」のいないゲームが可能なのか、少し考えれば疑わしい話なのに、そのまま報道され、相当広く信じられてしまった。

当時の報道では「どうやって確認するのか?」という当然の疑問に対して、当番兵をとっかえて数えさせるんだ、というそれなりに合理的な「審判」の方法がちゃんと紹介されていたことは、当ブログの読者の方ならご存知かと思います。この程度のことすら知らずに「うまいこと言った」つもりでいるのでしょう。
でもまあ、一番あきれるのは次の部分です。

しかし、被害者によりそい、徹底的な正義の実現を主張するだけでは不十分である。 現在の日本国民の大部分は戦後生まれであって、こうした問題に直接責任を負うべき 立場にない。日本に対する過剰な批判は、彼らの反発を招くことになる。またこうし た言説は韓国の期待を膨らませた。その結果、韓国大統領が、世界の首脳に対し、日本の非を鳴らすという、異例の行動に出ることとなった。それは、さらに日本の一部 の反発を招き、反韓嫌韓の言説の横行を招いた。こうした偏狭なナショナリズムの台頭も、日韓の和解の困難化も、春秋の筆法を以てすれば、朝日新聞慰安婦報道が もたらしたものである。
かつてベルサイユ条約の過酷な対独賠償要求がナチスの台頭をもたらしたように、 過剰な正義の追求は、ときに危険である。正義の追求と同時に、日韓の歴史和解を視 野にいれたバランスのとれたアプローチが必要だった。

現在でも戦争犯罪人の摘発を続けているドイツと違い、ただの一人も戦争犯罪人を自力で裁いたことのない日本で「過剰な正義」ですと! この部分をメルケル首相の前で朗読してみてもらいたいものです。